初めての英国~「機械+人間=月」の感性で一気に業界の話題人に
87年に渡英し、気がついたら今年で17年も経っていました。ロンドンに最初に足を踏み入れた当初は、知っている人が1人か2人位しかいなかったのですが、そのうちの1人で当時ワイルドパンチというバンドでDJをやっていたネイリー・フーバーから、僕がロンドンに着いてまだ1ヶ月経つか経たないかという頃に「ソウル・トゥー・ソウルというグループのアルバムをやるから手伝ってくれないか?」という話しがたまたまありました。当時はヒップホップが流行っていた頃で、その頃僕の中では「アナログとデジタルがコラボすれば無限だ」「機械と人間が付きあうと月まで行ける、だから音楽も同じだ」という気持ちが有りましたから、「バック・トゥー・ライフ」は、「リズムボックス+人間が叩いたドラム/パーカッションをミックス」した当時世間にも自分の中にも無かった作品を作ってみました。これはサンプラーのドラムマシーンを使ったもので、ヒップホップのようなオーガニックのような変わった感じでとてもユニークなものでした。するとこのアルバムが爆発的なヒットになってしまい、そうしたら業界で「誰がやっているんだ」ということになって、それからシドニー・オコーナー、シール、シンプリー・レッド等いろいろな所から仕事が来るようになりました。
シンプリー・レッドとの出会い~「どんなでかい黒人のやつなんだ!?」
ちょうどその頃、クルセーダーズ、BBキング、ライオネル・リッチー等の大御所プロデューサーでスチュワート・レビンという人がいて、シンプリー・レッドもやっていた彼がRadio DJやレコード会社のプロデューサー、A&R等と食事をしながら「最近おもしろいやつはいないか?」というような話しを5人位にすると、相手がそれぞれ3人位挙げた中から必ず僕の名前が出て来たらしく、「じゃあ彼をちょっとチェックしてみるしかない」という事になったらしいです。彼はプロデュースの仕方、特にアーティストの実力を引き出すのがとてもうまく、初めて会ったときからとても好きになりました。例えばボーカルがレコーディング中にソロで煮詰まったりすると、ジョークなど全然違う話をするんです。でも実はそれが遠回しですごくソロに関連している内容だったりして、笑わせたりすごくまじめな話しをしたりした後、「じゃあもう一回やって見ようよ」って歌わせてみるとバシッっと決まる、というようなプロデュースの仕方をする人なのです。彼は僕にとってお父さんのような存在でした。ちょうどその頃僕の親父が癌で死にかけていたという事もあったんだけど、いろいろな事が彼に投影出来て。
でお互いに意気投合してやっていたある日「シンプリー・レッドで今度レコーディングをやるんだけれど、アドバイスで来てくれないか?」と言われたんです。ただ当時シンプリー・レッドにはドラマーがいたので、自分が何をすればいいのかを聞いたら、「最近やっているようなモダンなアドバイスをして欲しい」と言われたんです。
そんな経緯でシンプリー・レッドのメンバーに会って見たら、こんなメガネをかけたヒョロッとしたやつが出てきて、リーダーのミックもビックリ。スチュワート・レビンに初めて会った時もそうだったけど「どんなでかい黒人のやつが来るんだ!?」って思っていたみたいで(笑)。 そこからシンプリー・レッドでの活動が始まったんです。
シンプリー・レッドのメンバー時代~自家用ジェットで飛び回る憧れのロックスターに
88~92年頃は、何を出してもヒットした時期でした。ニューアルバムやシングルを出すと1位になって、しかもそれが1回だけじゃなくて4週連続とか十何週1位になったんです。最も売れたのが91年あたりのスターズっていうアルバムで、なんとU.K.チャート2年連続1位だったんです。普通年間1位っていうのはあっても、2年連続っていうのはめったに無いじゃないですか。一時はビートルズやクイーンを抜くような勢いで、周囲の反応はまあ言ってみればちょっとトリッピーな感じで、完全に現実離れしていましたね。
ヨーロッパでもかなり売れましたから、何処に行っても1位、1位で、あちこちのTVへの出演依頼や、プロモーション、ツアー等々とにかく忙しかったので、だから自家用ジェットで飛び回っていたんです。僕は子どもの頃からレッド・ツェッペリンのドラマーのジョン・ボーナムが好きで、彼が自家用ジェットのタラップから降りてきて、そのままリムジンに乗っていく、みたいなロックスターの格好良さに憧れていたものに、突然自分がなってしまったという感じでしたね。
とにかくいろんなオーディエンスの前で演奏できて、いろんな国に行けて、いろんな体験が出来たことが一番大きな思い出ですね。またリーダーのミックとも親友になれて、一緒に遊んだりプロデュースしたりするようになったのもとても良かったです。
初めてECLIPSE TDシリーズスピーカーを聴いた時の印象~大げさじゃなく衝撃的
ECLIPSE TDシリーズスピーカー 512を僕のロンドンのスタジオに入れたのは、確か3年位前でした。大げさじゃなく衝撃的でしたね。ちょうどブライアン・イーノも同じようなこと言っていたけど、バスドラムの音があれだけ目の前で鳴っているように聞こえるスピーカーは聴いたことが無かった。普通は「スピーカーから出る」というバスドラムの音じゃないですか。僕は元々日本太鼓を叩いていたので、「あの頃の感動がまたこのスピーカーから聞こえた」っていうんですか。これは決して大げさじゃないですよ。「このスピーカーは何なのだろう?!」って。他の特徴としては、ずっと聞いていて疲れないという事、それから特にボーカル録りをしやすいですね。「録音したボーカルの声が生声と同じようにそのまま聞こえてくるという事は、これであっているんだろうな」と確信させてくれるので、変に音をいじくらなくていい。
他のスピーカーは確かにHiFi的には聞こえるけれど、実際の人が歌っているレゾナンスっていうのか中低域辺りが分かりにくい。 512の場合は、目を閉じたら「そこで歌っているんじゃないか?」っていう感じがあります。そこがすばらしいと思いますね。
シンプリー・レッドの「ブルー」というアルバム制作で512を使っていたときに、ミックも「ボーカルの音質が好きだ」って言っていたのを覚えていますね。 トム・ジョーンズも「リロード」というアルバム制作の時に「分かりやすい」と言って帰っていきました。
それから弦楽器もそうだけどサックス等すごくリアル感が出ていると思いますね。例えばサックスはボディーから出てくるブレス音とか抜け方っていうのかな、もちろんマイキングにもよるけど。それと部屋鳴りなど普通のスピーカーでほとんど聞こえてこない音が良く聞こえるような所ですね。
トータルにいうと、例えばバンドでドラム、ベース、ギターが一斉にバッと音を出したときに、これまでのスピーカーだとベースとかバスドラムが奥まって聞こえていたのが、512だとバッと立って聞こえるんですよね。だから多分一番このスピーカーをわかりやすく聞き比べるんだったら、ライブかなんかやっているところでステレオのマイクを立てて、そこに他のスピーカーとECLIPSE TDシリーズスピーカーを置いてA/Bって切り替えてみれば一目瞭然っていうか一聴瞭然っていうか(笑)
512からTD712zに変えた印象~レスポンスが早くなった感じ
同じ部屋じゃないからはっきり分からないけれど最初は一瞬音が硬くなったのかなと感じました。でもそれはどうやらレスポンスが早くなったのをそう感じていたようで、512よりももっとしまりが良くなって、高域がスムーズになった感じがしますね。
活動拠点を日本に~最近は英国よりも日本の方が面白い
ちょくちょく日本に帰ってくるようになって、十数年の付き合いの藤井フミヤ君と仕事するようになったりするうちに、最近英国よりも日本の音楽の方がおもしろいなと感じるようになりました。特に日本の歌詞に心を打たれるようになったんです。昔は音楽的なところだけがおもしろかったのが、そういう歌詞の面白さというのが自分の中で大きくなって。あと、若い子のやっている新しいダンスミュージックだとかロック物等でも昔に比べるとすごく開き直ってオリジナリティーが高くなってきている気がして、彼らとおもしろいことが出来たらいいなあと思うようにもなりました。ただ別にイギリスの音楽活動は断ち切った訳じゃなくて、この前も向こうに戻って仕事をしてきました。
最近のアクティビティー~ブリトニー・スピアーズからサントラまで幅広く
今、ブリトニー・スピアーズのリミックスを作っているところで、折角だからこの機会に新しいTD712zを試してみたいと思って。あと最近は映画音楽のサウンドトラックを作るのに興味が出て。映像やストーリーを見ながら音を作るというのがとても興味があるんです。この間もケイゾクとかトリックとかをやられている堤幸彦さん監督のドラマの音楽をやりました。とても面白い監督でね。「僕もちょっと出たい」と言ったら時代劇にちょんまげで出演させて頂けたんですよ(笑)。主役で出ていた渡部篤郎君が、最近独立して自分で映画監督も始めていて、彼からも音楽をやってくれと言われてそれもやり始めているところです。これにも出演をちゃっかりしちゃってます。映画の5.1ch作品もこれから本格的に作ることになるので、そうしたらTD712zをあと3本買おうと思います。 (ありがとうございます!)