演奏家:マリンバ&パーカッション

加藤 訓子

いいものを創造してゆくことに大切なことは、無駄な力を抜く事

今回はロッテルダム音楽院を打楽器奏者初のクムラウド称号を授与されて首席で卒業し、サイトウキネンオーケストラでの活躍を経て、今独自の音楽空間創造に挑んでおられる加藤訓子さんの素顔に迫ります。

小学校では何でも出来て、まずはピアノから、、、

小さい頃の私は、勉強もスポーツもオール5で、健康優良児で、、、と、とにかく何でも出来る子でしたが、毎年通信簿に書かれるのは、「非常に何でも良くできますが、やや消極的、、、」(笑)。確かに小さい頃はすごく引っ込み思案で、自分の事を沢山しゃべるとか「ハイハイハイ」って(進んで手を挙げる)人がいるじゃないですか、ああいう事がとても出来なかったのです。いつも母親の陰に隠れて、という様な感じで。これは特に幼少~小学校時代のことで、今でも多少はそういうところが残っていますが、年を追うごとに「強くならなくっちゃ」って思っていました。
で結構自分なりに努力をして、小学校の高学年くらいになると学級委員等もやったりするようになっていましたね。そのころやっていた楽器はピアノ。私の小さい頃はどこの家にも一家に一台ピアノがあって、どこの子もピアノを習って、という環境だったので、私もまずはピアノかなと。ここからはずっと音楽が一緒にありました。

手が小さいので、他の楽器を、、、

ただ私は手が小さいんです。なんだかこう派手なのを弾きたくても全然弾けなくて。年頃になってくると、オクターブがままならない感じでモーツァルトばっかりやっていてもつらいじゃないですか(笑)。だんだんフラストレーションがたまってきて、もう少し自分が好きでやっていける楽器を探していたような気がします。そのころはヤマハ音楽教室にも通っていたのですが、ヤマハだといろいろな楽器に触れる事が出来る機会があり、そういう中で比較的打楽器に触れることが多かったんですね。
ピアノってすごく難しくて、厳しい世界で一人で創り上げていくのは、子供ながらにきつかった(苦笑)。そこで、ビートを刻んだだけで「ああ、きもちがいい!」というようなリズムだけの音楽に出会い、それからマリンバサウンドの感覚にはまったんですね。確かに音色はピアノとも近いのですが、どこかネイティブな独特の響きに魅力があるんです。中学生の12-3歳頃のある時に「あっこれだなあ!」って感じた事があり、すぐに「私はこれをやる!」って言って、自分の意思で決めました。

大学で打楽器の持つ独特の世界にはまって、、、

高校のときには楽器を揃え、豊橋から浜松まで習いに通っていました。当時の先生は、桐朋学園の卒業生で、世界的なマリンバ奏者である安倍圭子先生の弟子で、とてもいい形で導いて頂きました。桐朋学園に入ってからはマリンバを安倍圭子先生に師事し、打楽器もオーケストラとか他の打楽器全般に関する事など、クラシックをしっかりと勉強をする機会に巡り会えました。
日本の中ではあまり他の打楽器に出会う機会って少ないんですね。中学や高校ならブラスバンドくらいかな。でもブラスバンドの世界では打楽器というと小太鼓とかシンバル、トライアングルという基本的な楽器にしか出会えませんが、打楽器の世界っていうか、打楽器だけのソロ曲があったりとか、曲をやるときに打楽器を自分で材料を選んだり、楽器なども作ったりする、そういう世界があることは大学に入ってから知ったので、「ああこれは面白い!」って。(笑)

大学を卒業してロッテルダムへ、、、

大学を卒業した後、研究科に席を置きながら一人で勝手にヨーロッパに行きはじめました。きっかけは、当時は打楽器のソロの世界に関する情報が日本にまだあまり無く、曲とか作曲家のものをどうやるのかも分からなかったし、ヨーロッパってどんな国かという事すらも分からなかったので、じゃあ実際に現場を見よう、って感じで。最初に行ったのはドイツのフライブルグで、そこに今やカールスルーエ国立音楽大学教授になっておられるパーカッションの中村功さんをたよって行きました。そこのバーナード・ヴルフ先生の教えを受けながら1ヶ月間そこに滞在したのですが、そういう感じであちこちを転々としている間に、フェスティバルやコンペティシションがあれば参加したり、そういう中でロバート・ヴァン・サイスというアメリカ人の先生に出会いました。
パーカッションやマリンバの奏法というのはまだまだ世界でも確立されていないのですが、日本とヨーロッパではスタイルが色々と違うので、むこうに行ったら持ち方などを全部変えられるというような事もあり、特にその先生はそういう指導を結構細かくされる先生だったんです。ところが不思議と私に関しては自分が持っているものを変えないで、色々と自由にさせてくださったので、自分としてもボブ(ロバートの通称=向こうでは先生でも呼び名で言い合います)の指導にうまくついてゆけました。そんなボブの薦めもあり、まあ奨学金も出して頂ける(笑)という事でしたので、「色々見た中でオランダは勉強するには結構いいところだな」と思い、ロッテルダムコンセルバトリウムという大学に入る事にしました。

フランダースの犬はいなかった、、、

大学に入るに先立ち、まずはロッテルダムに住むところを探しに行ったのですが、何故かそこでは、色々な事がひとつひとつスムーズに行かなかったのです。駅に降り立った瞬間からなんだかザワザワッていうか、胸騒ぎもして、毎日心配事は多いし泊まるところを探してもうまく見つからないし、友だちを頼っていってもうまく会えない、アパートはなかなか高くて見つからない、とか、、、。
そうこうしているうちにひょんな事からベルギーのアントワープに住んでいた桐朋学園時代の友だちのところに遊びに行ったんですね。するとアントワープとロッテルダムの生活環境の違いに「えっ!なにこれ!」って感じで。アントワープはとてもヨーロッパの街らしく、いい感じで、とにかく何でも安いし食べ物はおいしいし(笑)、アパートもすべてヨーロッパ調、しかも家賃も全然安く、空きだらけ。ロッテルダムは全てコンクリート調だったんです。まあ近代的なんですけどね。それで即、アントワープに住むことに決め、それからはヨーロッパ的な生活を送り、おいしいものも食べて(笑)、音楽漬けの毎日、充実していました。ただ通学は電車で1時間くらいかけて国境を越えながら学校に通っていましたので、あまり学校には毎日行かず、まじめな生徒とは言えなかったかな。
アントワープには、「フランダースの犬」の日本のツーリストがいっぱいやって来ました。でもあの話、実はアントワープではほとんどの地元の人は知らなかった(笑)!?アントワープのあるベルギー北東部はフランダース地方といい、話自体は一応あったらしいんですが、作者もイギリス人だったということもあり、それほど有名な話ではなかったようです。ところが「ネロとパトラッシュの銅像はどこ?!」っていう日本人観光客があまりに多くなったので、逆に「えっ、なにそれっ?」って感じで、慌てて街のスポットとして銅像や記念碑が作られたとか(笑)。

サイトウキネンオーケストラに入ったきっかけ、、、

私が参加していたのは、1994年から2004年くらいまでです。
あれも不思議な縁というか、不思議な選抜のされ方をするんですね。最初に入るきっかけというのは必ず世界中で活躍している桐朋の先輩達が推薦してくださるようです。それでどこかで「加藤訓子」という名前をあげていただいたんだと思うのですが、不思議な事に私がヨーロッパ他どこにいても事務所から連絡が入ってくるんです。ヨーロッパにいる時に当時自分の持っていた携帯に電話がかかってきた時は本当にびっくりしました。引越しをしても、今どこにいるのかを探し当てて、いつのまにかファックスが届いたりしていました。サイトウキネンオーケストラでの活動はすごく刺激的でしたね。本当にああいう世界中から最高のプレイヤーたちが集まり、その個性と自由な表現が出来るオーケストラってなかなか日本には無いので、とても良い経験が出来ました。

結婚してアメリカへ、、、

2000年にアメリカのナッシュビルで大きなパーカッションのコンベンションがあり、それに参加したのですが、そこで当時パール楽器の代表をやっていた主人に出会いました。それからちょくちょくアメリカに行く様になって(笑)。で結婚したのが2003年です。そんな縁で今ナッシュビルに家があり、住んでいるという訳です。

ソロ活動重視への転機、、、

サイトウキネンに参加していたころは、オーケストラから室内楽まで、呼ばれれば何処へでも行き、何でもやっていました。ソロはその合間に「ちょっと」って感じで。ところが、そういう風に色々やっているうちに、ある時パリで突然めまいを起こし、眼球がこう痙攣したような感じになって動けなくなってしまいました。突然のことで驚きましたが、あまりに気持ちが悪かったのでちょっと悩みましたね。仕事にも影響が出たり。。。
それで少し活動を減らし、落ち着いて色々考える事にしたのですが、すると自分が今までいろいろとやっているようで、何もクリエーティブな物を生み出していないと気づいたのです。そこでもっと「創る」ということをじっくりとやりたいと思う様になり、まずは仕事を選ぶ事もそうですが、ソロ活動の舞台を作っていけないだろうか、という方向に切り替えていったんです。
まだ打楽器ソロの需要も少なく、実際ソリストとして定期的なオファーがある訳でも無かったのですが、自分でそういう方向に変えて行き、ひとつひとつのステージを自分で考えたり、オリジナル作品を作ってみたりしてゆきました。空間作りとコンサート2時間のトータルコーディネート、企画プロデュース、そして最終的には観客の皆様との空気感をどう自然に創り上げていくか、すべて自分次第で変わっていくというのが面白くなってきました。

ECLIPSE Home Audio Systemsを聴いて、、、

音源創りやダンスとのコラボレーションなど、ステージで使うサウンドに関しては、私自身でも生音をミックスして編集もするのですが、そのモニタースピーカーを探していたところ、知り合いの著名なスタジオエンジニアの方に推薦いただいたというのが、ECLIPSE Home Audio Systemsとの出会いのきっかけです。
始めて音を出したとき、そのサイズからのイメージを越える意外なパワーにびっくりしました。それからさまざまな生楽器の音の立ち上がりの綺麗さにも驚きました。どの音もほんとうにクリアできれいに生き生き聴こえて、「えっ、この小ささで、あれー!すごーい!」っていう感じで(笑)。
音色もとても心地よい感じで聴こえますね。特に感じたのが、ピアノや弦楽器、ギターやマリンバなど、それぞれの楽器の発音と余韻がよく聴こえるという点です。打楽器は自分の音等も聴いてみましたが、ドラム缶のような作った音の中高音はとてもきれいでした。さすがにバスドラムのようなとても低く厚い音は弱くなってしまいますが、ただ電気的に打ち込まれたような低音は結構いけるんですよね。だから一般のCDに含まれているような低音では、「低音が足らない」という感じはあまり無いですね。この部屋にぴったりのスタイリッシュな点もとても気に入っています。

今後の活動への想い、、、

これからも続けてソロ活動をがんばっていきます。勿論音の空間創りもまだまだ興味がありますが、今は、「自分の身体を使って音を生み出す」という事にも大変興味があり、その為の身体創りや精神的にコントロールできるよう、集中しています。そしたらもっと威力のある音を出せ、もっと新しく、もっと自由に、オリジナルな世界がつくれるかもしれません。 今は特にヨガや武道、能等にも興味があります。特にヨガは身体の中から変えてくれ、人間として基本的なこと「立ち方」や「呼吸」なども改善されます。いい音を出すこと、いいものを創造してゆくのに大切なことは、「無駄な力を抜く事だなあ」と強く感じている今日この頃です。

主な作品

「To the Earth (CD)」
alacarte Cie. SO1118
送料込み 3,000円(日本国内のみ)
tel:+81 3 3565 7533 fax:03-3952-5764
上記以外はcdbaby.com より購入可、CDロゴクリック
ソロ・アルバム:クセナキス/ルボン、杉山/リガロ、ドナトーニ/オマール、 シュワントナー/ヴェロシティーズ、ジェフスキ/トウー・ジ・アース

東京オペラシティ コンサートホール開館10周年記念 CD
「武満徹の宇宙 Cosmos of Toru Takemitsu」

指揮:若杉 弘/高関健、ピアノ:高橋悠治、パーカッション:加藤訓子、オーボエ:古部賢一、トロンボーン:クリスチャン・リンドバーグ、東京フィルハーモニー交響楽団
武満徹:カシオペア、アステリズム、ジェモー
収録:2006年5月28日
東京オペラシティ コンサートホール(ライブ録音)
定価:1,050円(税込) 品番:TOCCF-10
企画制作・発売:財団法人東京オペラシティ文化財団
販売:タワーレコード株式会社

Steel Drum Works/加藤 訓子  ( マリンバ&パーカッション ) 宮本 宰  ( 音楽空間クリエーター )

加藤訓子さんプロデュースによるソロパーカッション&スチールドラム(ドラム缶)ライブパフォーマンスが、彩の国さいたま芸術劇場(6/3・4)とAI・HALL 伊丹市立演劇ホール(6/11・12) にてECLIPSEスピーカーを使って開催されました。

このコンサートは既にバンクーバーでも公演され、国内でもさらに横浜、名古屋でも開催予定で、作品の制作にはミニマル・ミュージックを代表するアメリカの作曲家、スティーブ・ライヒも参加し、サウンドクリエーションには、音楽空間クリエーターの巨匠、宮本 宰氏が手がけるという大変大掛かりな作品となりました。

イベントの詳細はこちら→http://www.kuniko-kato.net/sse/top.html

●Steel Drum Works

2009年3月にやっと実現したこの「Steel Drum Works」(通称:ドラム缶ライブ)は、
今年2010年6月、5年前このドラム缶たちが生まれた彩の国さいたま芸術劇場で
再び幕をあけた。

写真を見ると、ぎょっとするくらい強烈な舞台(?)
自分で言うのもなんだが、まるで宇宙ステーションのよう。
10体のECLIPSE ― まるで宇宙から舞い降りたエイリアンのように、
目を光らせながらその存在感を静かに主張し厳かに佇んでいた。
そして私の創った音の世界に入り込み、どこからともなくしゃべりだした!
鋭い音の立ち上がりと反応、呼応する音の渦の中、
観客と一体となる緊張を感じながら、我を忘れて音を紡いでゆく・・・
こんな馬鹿げたこと(?)と思いながらも、ここ数年この「ドラム缶」に
すっかりはまってしまっている私ですが、この先もまだまだ続きます!

加藤訓子

instruments/加藤 訓子  ( マリンバ&パーカッション ) 宮本 宰  ( 音楽空間クリエーター )

ドラム缶の内側に剣山のようにスチールロッドを溶接、中に水を入れ、指ではじいて音をならします。
まるで洞窟の中や海の底にいるような音が響きます。
ドラム缶の内側にトライアングルとアルミ棒を釣り糸でつっただけのアナログな自動演奏装置。
回転しながら時々ぶつかりあい、自然な余韻が延々と続きます。(開場時のインスタレーションで使用)
ドラム缶にギターとベースの弦を張ってあります。ギター弦は繊細な音が、ベース弦はなかなか太っ腹な音がします。
ドラム缶の内側に肉厚の鉄管をぶら下げ、チャイムのような鐘の響きを出します。ここでは見づらいのですが、鉄管を吊るワイヤーを横方向へ引くことで鉄管同士を接触させます。大元のワイヤーが、天井を伝って私のビブラフォンの背後、足で操作するドラムペダルとつながっています。Can’s Club Mix というオリジナル曲(アンコールにて演奏)で、最後に流れてくる鐘の響きはビブラフォンを演奏しながらドラムペダルを操作して出しています。
左2つはギターパン、右がテノールパンです。
3つセットで、スティーブ・ライヒ「エレクトリックカウンターポイント」の第一楽章を演奏します。
プリレコードには8人分のスチールパンがレコーディングされており、ライブと合奏します。
スチールパンの中ってみんな覗きたくなるんですよね~。よく見ると、一応音程が書いてあります。
勿論、これらスチールパンはドラム缶から作られている唯一の楽器、ご存知ですよね?
手前に見えるカラフルな丸いものはスーパーボールに安全ピンがついており、これは私の必殺仕事人アイテム。ドラム缶をこすり、動物の鳴き声のような音を出します。
小さな撥はピアノ線を張ったドラム缶をシタールのように演奏するためのもの。銀のコップは100円均一で入手、これまたピアノ線のドラム缶でボトルネック奏法を行うのに最適です。
左には4つ並んだ日本の和楽器「りん」、ここでは弓を使って奏しています。次の糸電話のようなものは空き缶をバネでつないだもの。宇宙交信ができる? 他マレット、木槌等。ドラム缶を叩くにはかなりがっちりした道具が必要です。
デビッド・ラング「アンビル・コーラス」を演奏するためのセット。すべて金属加工工場で調達したヘビーなスチール片ばかりです。
下の方は少し見づらいですが、5つのドラムペダルとバスドラムがセットされています。

実に生々しい音空間/加藤 訓子 + 宮本 宰 (職業)

今回サウンドクリエーションを担当された宮本宰氏に、初めてECLIPSEをお使いになられた感想を伺ってみました。

010年6月、パーカッションプレイヤー加藤訓子さんの ”STEEL DRUM WORKS” ツアーを控えて、サウンドシステムに悩んでいました。一番の問題は、このコンサートの中核を成すライヒの対位法の2曲を、どのようにして音響空間に組み上げるかということでした。これらはいずれも、加藤さんのソロ演奏に10数チャンネルのプリレコードされたテイクが綾取りのように絡み合い、大きなうねりを生み出していく作品です。

重要な点は、ソロとプリレコードの素材が、違和感なく連続したフレーズを表現できることであり、そのためには、それを再生するスピーカーシステムには、録音されたアコースティックの音場に限りなく忠実な再生が求められます。いろいろな機種候補やシステムのアイデアが出た中、最終的に加藤さんお気に入りの、ECLIPSEが使えないだろうかということになり、担当の方に問合わせてみようということになったわけです。と言っても、1ペア借りるというような生やさしいレベルではなく、加藤さんを囲むような形で12台くらい借りられたら、という無謀なお願いでした。で、おそるおそる聞いてもらったところ、TD712zMK2が12台、二つ返事でOK! これにはちょっとびっくり。

実はこのスピーカー、以前からいろいろと話題になっていたこともあって、ボクも何度か秋葉原などのショップで試聴したことがありましたが、正直なところ、あまり印象に残る物ではありませんでした。そして、さいたま芸術劇場での仕込みの日に初めて実際に組み上げてみたのですが、その堅牢な仕上げにちょっと驚き、引き続き録音素材を再生し、更にはスティールパン、ビブラフォン、マリンバなどを演奏してもらいました。シグナルパスに入っているEQはすべてバイパスして聴き続けていると、最初に抱いていた「所詮、12cmフルレンジの音」という先入観はいつの間にか吹っ飛び、実に生々しい音空間ができていましたね。

思い返してみると、ショップでの試聴はCDを聴いたのですが、このときはオーディオ鑑賞という受け止め方で、無意識にキャビネットの音を期待していたんだと思います。ライブサウンドを創るときは別として、ボクが普段、音楽を聴くときは、その生の音を意識するというよりは、キャビネットで色付けられた心地よさを求めてしまっているということに、気付かされたわけですよ。キャビネットの色付けを極限まで排除したECLIPSEが印象に残らなかったのは、ある意味で当然だったのかもしれません。

しかしライブで使用したとき、ECLIPSEは俄然、輝いてました。マイクロフォンによって音から変換された電気信号が、他のどのスピーカーシステムよりも正確に、再び音波へと復元されていることに驚かされました。そこには加藤さん以外に、彼女を取り巻く10人の演奏者が確かにいましたね。マイクロフォンの位置をわずかにずらしたり近付けたりするたびに、出音が忠実にそれについてくる様には、ちょっと驚きの声をあげてしまいました。複数本のマイクロフォンによる干渉もクリアに聴き取れましたし、単一指向性のスピーカーにありがちな、聴く位置を少し変えると音の印象が大きく変わってしまうということもなく、まるでそこに演奏者がいるような空気感を感じました。

今回はメインとなるPAシステムがあり、ECLIPSEは主にライヒのコーナーを中心に使用したのですが、次回はぜひECLIPSEだけですべての音表現を構成したいと思わせる、ライブサウンドにこだわる者にとってはたいへん魅力的なスピーカーです。
加藤さんのコンサートでは、舞台と客席という物理的な境界を取っ払っていますが、ECLIPSEをうまく配置することで、音空間でも舞台と客席の境界を消すことができると思います。そのとき、本当に観客とアーティストが一体になれる、新しい形のパフォーマンスが生まれるのかもしれません。

最後になりましたが、我々の“無謀”なお願いを快くご理解いただき、機材をご提供いただき、ツアー中はほとんど連日顔を出していただいてたいへん貴重なアドバイスを賜りました、(株)デンソーテン ECLIPSEご担当の小脇宏様に、一同心より感謝申し上げる次第です。小脇さん、また一緒に エキサイティングな音創りをしましょう!

宮本 宰
2010/07/26 記

profile

加藤 訓子(演奏家:マリンバ&パーカッション)

桐朋学園大学卒業。同校研究科在席時から単独渡欧し、ロッテルダム音楽院へ留学。打楽器奏者として史上初のクムラウド称号を授与され首席で卒業。数々の世界的な指揮者や作曲家から注目される打楽器奏者として世界を舞台に活躍する。

その技量、音楽性、芸術性の高さは、学生時代から注目され、ソリストとしてマリンバ、打楽器にその天性の才能を発揮する。90年第7回日本管打楽器コンクール打楽器部門2位、95年第1回「リー・ハワード・スティーブンス国際マリンバコンクール」準優勝、96年ドイツ、ダルムシュタッド国際現代音楽際にてクラニヒシュタイン賞受賞、2000年米国パーカッシヴ・アートソサイエティーより世界35人のマリンビストに選出、2002年愛知県豊橋市より文化賞奨励賞を受賞。

団体活動としては、94年から小澤征爾監督サイトウキネン・オーケストラ、98年よりアンサンブル・ノマド、96年よりベルギ-のコンテンポラリーアンサンブル・ICTUS、ダンスカンパニー・ローザスにメンバーとして参加。2003年よりそれまでの活動を集大成したソロコンサート・シリーズを展開し、日本各地及びアジア各都市にて公演活動を行う。

2005年1月、英国作曲家ジェームス・ウッドが加藤のために書き下ろした三島由紀夫原作著書「志賀寺上人の恋」を題材にしたミュージックシアター「浄土」日本初演を自身が総合プロデュースを手がけ各界の話題を呼んだ。米国PASICには2000年、2001年と連続で招かれ世界35人のマリンビストにも選ばれている。

アダムス社(蘭)、パール楽器(日・米・欧)のインターナショナルアーティストとしても活躍する。2005年現在米国に拠点を置き日本、アジア、欧米でグローバルに活躍する新時代の顔。

加藤訓子 オフィシャルサイト
http://www.kuniko-kato.net

profile

宮本 宰(音楽空間クリエーター)

昭和49年ヒビノ電気音響(株)[現:ヒビノ(株)]に入社。PA業界の草分け的存在。オリジナル・サウンド・システムやミニチュア・マイクロホン・シリーズの開発などを手掛ける。

また、大型施設での音響設備の設計・施工・コンサルティング、そして数多くの国内外アーティストのライブ・ミキシングを経た後、主に海外アーティストの音響コーディネーターという新分野を確立してきた。

昭和58年以降、約20年間で手がけた海外アーティストのコーディネートは、延べ450余りにのぼる。その豊富なフィールド経験に基づく的確なコーディネートは、海外アーティストからの絶大な信頼を得ている。 また、PA業界の発展にも心をくだき、「演出空間仮設電気設備に関する調査研究委員会」委員、「特定ラジオマイク利用者連盟」理事、「日本舞台技術安全協会」幹事会副議長などを歴任している。

平成14年ごろより、ヘッドフォン・ステレオや携帯電話のダウンロード音楽再生などがもたらす、矮小化された音楽の聴かれ方に危機感を覚え、本当の音楽の心地良さをあらためて見つめるべく音楽の再生音場の”空気感”に徹底的にこだわり、新しい音空間を表現する音響システム「シンフォキャンバス」を提唱して、現在に至る。

http://www.hibino.co.jp/

ニューアルバム「Kuniko plays Reich」の制作ウラ話

ワールドツアーでヨーロッパ各国をまわり、イギリスではBBCラジオの生放送内で演奏を披露。また、linn recordsでも楽曲ダウンロード1位を記録し、同社のBest of 2011にも選ばれるなど、数々の話題となったニューアルバム「Kuniko plays Reich」について加藤訓子さんに語って頂きました。

<このアルバムが生まれた背景>

 今回のニューアルバムは、80年代のSteve Reichの作品をパーカッション用にアレンジしたものです。私が大学を卒業してヨーロッパを転々としながら打楽器の勉強がてらコンサート活動をしていた頃に(特にベルギーのアンサンブルイクトウスというところで) Reichの作品を演奏する機会が多かったのですが、その中でブリュッセルの最も権威あるパレ・デ・ボザールというホールでの大きなコンサートにReichが正式に招待され、それが私とSteve Reichとのはじめての出会いでした。
 その後もたくさんのReichナンバーを取り上げて世界中を回り、ソロになってからもReichの作品をやりたいと常々思っていましたが、ある時「カウンターポイントシリーズならソロでできる!」と思い、2008年の構想から足掛け3年でやっと完成したのがこのアルバムなんです。

<エレクトリック・カウンターポイント>

 初めに作ったアルバム1曲目の「エレクトリック・カウンターポイント」という曲は、1987年にギタリストのパットメセニーのために書かれた曲です。元々は2009年の「STEEL DRUM WORKS」のメインプログラムとしてこの曲をスティールパン~ビブラフォン~マリンバという構成でやってみたいと思い立ちました。それで早速Reichさんに相談したところ、驚くほど早く返事が帰ってきて感動したのですが、最初は彼のイメージと合わない部分があり、ちょっと難色を示されました。(このコンサートの主となる楽器はなんとインダストリアルそのままのドラム缶で、そのドラム缶から作られているというスチールパンをこの曲で使いたかったのですが、音程その他、不安定な楽器だからでしょうね。)
 ただSteveは「君のイメージを音にして聞かせて欲しい」と言ってくれましたので、まずは自分でデモを丸3日掛けて徹夜で作って送ったところ、すぐに帰ってきた返事が「Very Good!」でした。それで早速制作にかかりました。
レコーディングは、私の自宅があるアメリカのナッシュビルから車で10分程度のところにあるジョージ・マッセンバーグのいるBlack Bird Studiosで、2009年の1月に丸2日夜中までかかって行いました。
 何でも最高の音で録ろう!と言い出したジョージさんが、張り切って192k24bitで取り出してくれたのですが、何せパートも16パートあり、それに各パートにリバーブマイク等いろいろなマイクでも録ろうとして全部の楽章を並べて見たら100トラック以上!になってしまい、それは大変でした(苦笑)。
 その時最大限のスタジオのコンピューターでも何度もスタックしながら、パンクしそうになり、移したりしながらひたすら録りつづけてゆきました。
そして自分でミックスしたデモをSteveに送ったところ、またすぐさま「Bravo!」という回答が帰ってきて本当に嬉しかったという想い出深い曲です。
 録音をして頂いたジョージ・マッセンバーグ氏の他に、実はステレオパートのマスタリングを深田晃さんに、そしてサラウンドパートのマスタリングをオノセイゲンさんにという、巨匠ぞろいの豪華な制作スタッフの協力の下で作ることが出来ました。
 この3名の凄腕エンジニアたちは元々親しい間柄でしたので、目指す音の方向性はみな同じくリアルでナチュラルなサウンド。それを192kHz/24bitのハイレゾリューションフォーマットで収録したという、音響的にもとても豪華な作品になりました。

<シックスマリンバ・カウンターポイント>

 それからもう1つ「シックスマリンバ・カウンターポイント」という曲について。
 この作品のオリジナル「Six Marimbas」というタイトルでは6台のマリンバ、6人の奏者によるライブ用の作品ですが、なかなかマリンバ6台というアンサンブルは、舞台上の各楽器の距離間の問題などもあり、このリズムや音のディテールの絡み合いをライブでひき出すのは大変難しいと感じていました。ある時ふと「すべてのパートを一人で弾いて録音したらどうだろう?」と思いつき、早速Steveに相談したところ、「プラクティカルなアイデアだ!」と賛同してくれました。 さらに「新たにソロパートを作り、テープとライブソロという形にしたら世界中の人が一人でもライブでプレイできるだろう」と提案され、そのアレンジも一切を任せてくれました。

 今度はオノ・セイゲンさんのサイデラ・スタジオを訪れ、レコーディングはやはり丸2日かかりましたが、セイゲンさんの抜群のセンスでいい音に録れたと思います。実はこの「Six Marimbas」はもともと「Six Pianos」でもあり、かなり明瞭で鋭く、強烈なインパクトを求められました。ピアノ6台が一斉に鳴り響き、その音が差し迫るようなイメージを想像しながらMixしたのですが、Steveはそれに対して「Bravo!」とまた嬉しい言葉を返してくれました。さらにこの「シックスマリンバ・カウンターポイント」という命名もいただく事ができました。

<ライブコンサートでの演奏スタイル>

 ライブではプリレコードに入っている5台のマリンバがスピーカーから生音のように流れ、それらとアンサンブルするようなイメージなのですが、私のライブソロでテーマを先導したり、他の各パートと呼応したりしながら、新しいライブソロパートが際立つように作っています。
 このKuniko plays Reich というアルバムの作品たち、そしてライブでは、正にイクリプスのスピーカーのおかげで私のイメージに近い音再生、演奏が成り立つことができるようになりました。 またこのスピーカーの存在自体も、スピーカーが設置されているというより、まるで楽器や奏者がそこに居るような、また時には存在をも忘れて舞台と自然に同化していたりしてそんな不思議な感覚の中、いつも楽しく演奏できますね。

< Kuniko Plays Reich with ECLIPSE TD SERIES >

このコンサートは2011年6月17日にAsahi Art Squareで開催されたものです。
加藤訓子さんが演奏するスティールドラムやマリンバなどの打楽器に事前に収録した他パート分をホームオーディオ用スピーカーECLIPSE TD SERIESで再生、共演した1人多重奏です。
ECLIPSE TD SERIESスピーカーが再生する音が正確で生楽器の音に近いが故に実現できたイベントです。
映像制作:

Electric Counterpoint version for percussions

Vermont Counterpoint version for percussions

Six Marimbas Counterpoint