シンセサイザーアーティスト・作曲家

冨田 勲

サラウンドこそ普段の体験に最も近い音

冨田勲様は2016年5月5日に逝去されました。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

今回ご登場頂くのは、世界を代表するシンセサイザーアーティスト・作曲家としてグラミー賞ノミネートを含む数々の功績を築いてこられた冨田 勲さんです。 

冨田さんは「NHK大河ドラマ」「新日本紀行」「ジャングル大帝」「きょうの料理」などのお茶の間で親しまれた曲から、「たそがれ清兵衛」「武士の一分」等の映画音楽に至るまで、半世紀以上に渡り幅広いジャンルで音楽製作を続けてこられましたが、単なる音楽製作にとどまらず音響空間の創造ということを意識した作品作りにも第一線で挑戦してこられました。 

このたびご自宅のリビングを改装され、ECLIPSE Home Audio Systemsをサラウンド導入頂けたのをご縁に、冨田さんの世界とECLIPSE Home Audio Systemsとの接点について伺う貴重な機会を得ることが出来ました。

普通のステレオ(2ch)の音はオーディオの音としては皆さん聴き慣れてきてますが、実際には我々は街へ行っても海に行っても山に行っても林の中を歩いていても、サラウンドの音を聴いて生活しています。

したがってサラウンドというのは普段我々が聴きなれた状態に近い状態で音楽が聴けるという意味で、実は一番開放された素晴らしい音の聴き方だと私は思うんです。ただどういう訳かサラウンドというと少々難しいハイレベルの音だっていうイメージがあったり、また制作側も「きちんと音量を設定してどの楽器がどの方向から来る」なんていうややこしいことを一つ一つプランしながらやるので、普通のステレオよりも手間が掛かり、結果としてサラウンドのソフトを充分市場に出せてないし、放送も最近減ってしまいましたよね。

でも本来は音源の配置はここであろうが、そこであろうが、どこだっていいんです。だって自然音っていうのはそう聴こえているんですから。それともう一つ、最近よく意識することがあるんですが、例えば軽井沢の林の中を歩いているとします。右側を小川が流れていて、左のほうには鳥の巣があるのか、鳥のさえずりが聴こえる。それで、風が吹くと何となく落ち葉が散る音がする・・・。そういう情景の中で、後ろの音にハッとして振り向いたとします。

頭がくるっと反対を向くわけですが、これがオーディオの場合、音をくるっと回したらちょっと大変なことになりますよね。ところが実際の聞こえ方には脳が演算している外の世界というものがあって、くるっと振り向いてもその状況は同じなんです。音を動かすのはいいですが、人間の頭脳の中で演算しているもっと外側の音声があるんだなということを最近良く意識するようになってきたんです。

つまり頭の外側は振り向いてどこを向いても同じ世界であり、川の流れの音がどっちから聴こえようがそれは同じだって事です。だからどこからどういう音を出すか、位相はどうするか、ということに時間や神経を使うよりも、例えば我々が生活している自然界に近いような音をもっとフランクで大雑把にマイクをおいて録っても、その場の雰囲気に重点を置いたサラウンドの音を作るようにしたら、もっと一般の人が特殊なものだという考えを持たないで聴くようになるんじゃないかという気がしています。

1977年にリリースした「PLANETS」の音場空間で表現したかったのも、宇宙の中はどうせ、こっちが前だっていうのはありませんからね。太陽が出ているからそっちが正面、というわけでは無いので。 だから好きな方向を向いて音場を楽しんで欲しい、という想いで制作したんです。

昔は壮大なイベントが出来た

ドナウ川イベント・岐阜イベント・・・昔は壮大なイベントが出来た

サラウンドの楽しみ方には、AVルームにきちんとセットアップしたスピーカーの真ん中で聴くといった楽しみ方ももちろんありますが、もっといろんな楽しみ方があると思うんですよね。どこかが火付け役になると、パッと広がって定着するようなところもあるし。

かつてはCD-4※1やSQ※2などというサラウンドシステムも各社で考案され、僕も、ものすごくのめりこんだのですが、それが10年足らずで崩壊してしまって、とても残念でした。 それで「いっそのこともっとでかいことやってやれ!」と思い、1984年のオーストリアのドナウ川を皮切りに、世界各地で「サウンドクラウド(音の雲)」という屋外パフォーマンス・コンサートを行いました。それこそヘリコプターや船からも音を出してやろう、とか、川の対岸にもスピーカー設営用タワーをいくつか建てて・・・。という具合に大規模にやってみました。

例えば1988年に岐阜の「中部未来博」でやったときには、「トミタ・サウンドクラウド・イン・長良川」と題し、博覧会のメインイベントにしたいという要望を請けてスティービー・ワンダーまで呼び、3億円位かけてやりました。それこそスピーカーひとつをとってもとても大仕掛けで、1チャンネル分のスピーカーが鈴なりになってました。(笑)

中でも特にひとつの大きなチャンネルがどうしても川の中におかなくちゃいけない、ということになったのですが、長良川は堤防が無いので、仮に岐阜の町の周辺では雨が降らなくてもその上流で大雨が降ると一気に水位があがってしまうんです。それで建設省から、そういう洪水も想定し、橋を架けるのと同じようにH鋼みたいなのを組まないとそこにスピーカーを置いてはいけない、というお達しがあったんです。もちろんイベントが終わったら撤収もしなくちゃいけないんです。だからそういう目に見えないところにずいぶんお金が掛かりました。

イベントについてはストーリー性を持たせ、スティービー・ワンダーと岐阜の山奥の高鷲村(今の郡上市)などに住む子供たちを主役にしました。その地域は丸くていい竹が取れるので、郡上八幡にいた笛作りの名人とともに子供たちに1年かかって笛作りを教えました。そして子供たちはその笛を練習してスティービー・ワンダーの歌と競演するというものです。

子供たちは中州のステージの上から空に向かって吹く、そうするとそれに応えたスティービー・ワンダーがヘリコプターに吊るされたUFOの上に乗って現れる、という内容なんですが、それがまさに子供たちが笛を吹くと岐阜城の向こうからパアッと現れる、とういう具合に見えるようにうまく出来ましてね。

スティービー・ワンダーは実際にUFOに乗っているわけではなく、UFOそっくりのものを作り、未知との遭遇のように真下にパアッとライトを照らして、それで下に大型画面が3つか4つあって、そこにUFOの内部を映すという想定なんです。ヘリコプターの下に立っていたスティービー・ワンダーの吹くハーモニカの音は遠くから聴こえてくるわけですが、それはヘリコプターに吊るしたスピーカーから聴こえてくるんです。するとどうしてもヘリコプターのローターの音が聴こえてくるんですね。そこでヘリコプターには岐阜城の向こうの方にいてもらい、その間いかにも「ここまで飛んで来ているんだ」という事を表現するためにUFOの内部を大型画面に映したんです。

その映像は、スティービー・ワンダーがシンセサイザーの前でキーボードを弾きながら歌っている姿に、クロマキー(映像合成)でUFOの窓の外に岐阜の夜景が映っている、という仕掛けです。じつはその夜景の映像は、事前に飛行経路スケジュールを決めたうえで実際にイベントの一週間前にヘリコプターで飛んでもらい、イベントと同じ時間に同じ高度、同じポジションという具合に本番とまったく同じ状態になるように写したわけです。するとそこにパチンコ屋のネオンだとかガソリンスタンドだとかが見えると、「本当に飛んでいるんだ!」なんて思うわけでね(笑)、そこまでやったんですよ。

それでスティービー・ワンダーはオブリガードとして笛を吹いている子供たちと競演する。彼はああいうこと好きなんですよね。まあいい時代でしたね。バブルだったから出来たわけで、もうそんな時代は来ないでしょうね。(笑)

※1
CD-4(Compatible Discrete 4-channel:1970年にビクターが発表した4チャンネルレコード方式)

※2
SQ(quadraphonic record :1972年にCBSとSONYの協力によって開発された4チャンネルレコード)

ECLIPSE Home Audio Systemsを選択した理由

昔から特にイギリスなどではいかにも木の雰囲気がして弦楽器の響きが素晴らしく聴こえるスピーカーがあります。また日本にもアメリカにも色々趣向を凝らした音を作っているスピーカーもあります。でもぼくらは音作りの側ですから、スピーカーの色を付けて、ある一つの世界を出されるとちょっと困るところがあるんです。

悪く作られればその通り出てくる、そういうスピーカーの方がいいんですよね。多少欠点があっても何でも良く聴こえるようなスピーカーは多いんだけど、僕は自分が作った音をシビアに聴きたいですから。しかも一般の方は大きなスピーカーで大音響を出して聴く人たちじゃなく、やっぱり手頃な大きさ、つまり自分たちの居間とつりあいの取れるのスピーカーで聴かれると思うんですよね。そうするとECLIPSEのようなスピーカーの方がありがたいんです。

だからねえ、これは僕らにとっては怖いスピーカーですよ。昔、カメラのフィルムでまだ日本製が良くなかった頃、アメリカ製のフィルムを使うとそれこそゴミ箱を撮ってもきれいに見えるっていうか(笑)。でそういうのは僕らは困るんですよ。

要するに良くも悪くも自分がどういう音を作ったのかがそのまま出る様なシビアさっていうか、まあそんな風にしていつも聴いているわけじゃあないんだけれども、、、制作側がどんな音でも良く聴こえるスピーカーを使った場合、欠点も「ああ、これでいいか」という気持ちになってしまい、でリリースした後に聴くスピーカーによっては「いや、こんなはずはない、これはスピーカーが悪いんだ」みたいな事になるんですね。

そういう意味ですごく正直で良いスピーカーだと思います。これで良く聴こえればどんなスピーカーで聴かれても大丈夫だっていう・・・。でもその代わり手を抜くとそのままの音で出てきますからごまかしは効かないですよ。

それとやっぱり大きくて大げさなスピーカーっていうのは一般の人たちは持ちませんからね。一般の人が買える範囲内の、しかも程度のいいスピーカーで、しかもこれぐらいの部屋で特に大げさでもない、インテリアの一つとしても役に立つような形、そういうスピーカーっていうのも僕らにとってもありがたいですね。

このスピーカーは、本当にしっかりしているので、一般のリスナーにとっても例えばベートーベンの第九をホールの音場感、つまり前のほうにオーケストラがいて、その奥にコーラスがいて、それで後ろのスピーカーからは観客のざわめきだとか拍手だとかホールの残響であるとか。それが聴こえてくるっていう、そういう聴き方もこのスピーカーはもちろん出来るわけですし。

それとこれだけストレートに音が出る事のもっとも大事だと思っている点は、演奏者の想いが一番よく出てくる、ということです。 ぼくはね、そこに尽きる気がするね。やっぱり音に対する想いみたいなものが、受けて側にそのままストレートに浸透し心の中に伝わってくる。みたいな状況というのが僕にとって一番うれしいし、他のミュージシャンも恐らく同じなんじゃないかな。

今後の活動や想い

5年くらい前に出した源氏物語交響絵巻の新しいバージョンのものを、オーケストラの演奏で現在制作中です。今回はオーケストラに加えて5人の邦楽奏者の演奏とともに、琵琶奏者の坂田美子さんに京言葉で朗読してもらいます。

ロンドンで行った時と少しバージョンを変え、あの時に無かった朗読を入れ、それも単に「オーケストラの説明が入りましたよ」的ではなく、京言葉でなにかその源氏の雰囲気を出したいなと。リリースは2009年の秋くらいになるでしょうね。

演奏は東京交響楽団でロンドンの時と同様僕自身が指揮をしました。まあシンセサイザーの音にも色々仕掛けがあるんですが、特に六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊が現れる所の効果などは強烈に出てきます。

今回の音は僕が考える平安朝の世界ですね。王宮の日々は桜が咲いてとても雅な世界もありますが、中には女性同士の憎しみ合いであるとか嫉妬であるとか非常にどろどろした世界がありますからねえ。そういう面に加えて京言葉で朗読と琵琶の語りが・・・。というのが一つのミソです。是非楽しみにしていてください。

新作アルバム「響」

「PLANETS」は「驚異のTOMITA SOUND」と宣伝されたことも良くあり、確かに多少リスナーを脅かすような所はありました。そういった衝撃があったほうが人が集まりやすいということもあるので。

ただ最近ではそういう音作りはだんだん少なくなり、例えば「武士の一文」での驚異といえば、刀でバサッと切る音が全部のスピーカーから同位相で出てくるので、まるで自分が斬られるような感じがする、というシーンくらいのものです。

そして今回の藤原道三氏との新作アルバム「響」はそういう脅かすような音は一切無いです。いわゆる田舎の田園風景に自分が行ったような気持ちにさせる、というサラウンドですね。だからハリウッドを期待されるとちょっと頼りないかもしれないですけど。

ぼくたちが過ごした戦時中の日本は非常に貧しく、食べ物も無いどん底の時代でしたけれど、子供たちにとっては今で言う里山という風景が随所にあったんですよね。岡崎でも藁葺き屋根なんていうのもありましたしね。そんな心象風景を感じさせるようなサウンドにしたつもりです。道三君も非常にいい演奏をしてくれました。彼もきっとそういう風に感じたんだと思います。

「響」
2008年発売 3,000円(税込)

 1.藤壷・管弦の宴(4:59)
 2.武士の一分(4:14)
 3.文五捕物絵図(5:04)
 4.たそがれ清兵衛(4:47)
 5.仏法僧に寄せる歌(6:47)
 6.街道をゆく(4:20)
 7.アジア古都物語(2:26)
 8.ガンジス川(4:22)
 9.ヒンズーの神に祈る少女(2:24)
10.ひぐらし(3:59)
11.紫の上挽歌(3:55)
12.浮舟(6:58)
13.新日本紀行(5:01)
14.お爺さんの里(4:42)

profile

冨田 勲(シンセサイザーアーティスト・作曲家)

1932年(昭和7年)東京生まれ。慶応義塾大学在学中に作曲家・平尾貴四男、小船幸次郎に師事。

1950年代前半から放送、舞台、映画、コマーシャルなど多彩な分野で作編曲家として優れた作品を数多く残している。