音が見えるって、なんだ?/小原 由夫のサイト・アンド・サウンドVol.1

アナタは、音楽を聴きながら目を瞑ったことがあるだろうか?
おそらく大抵の人はあると思う。エッ、そのまま眠りこけちゃった…。私もありますよ。気持ちがいいから眠っちゃうんだろうなぁー、きっと。

音楽を聴きながら目を瞑るという行為の根底には、おそらくその音楽からイメージされる情景を思い浮かべたり、演奏しているアーティストの姿を想像している割合が大きいはず。目を瞑るのは、その音楽に神経を集中し、イマジネーションを膨らませるためだろう(まぁ、中には目を瞑らなくてもイメージできる人はいるでしょうけど……)。 ただし、それはあくまで“イメージ”であり、生身の姿や情景といった具象とは違う。ましてや同じ音楽を聴いたとしても、人によってそのイメージは微妙に異なったりもする。しかし、目を瞑ってその音楽に関する何らかのイメージを思い浮べようとするのは、少なからず『見たい』という能動的な願望があるはずなのだ。

な~んて小難しい話をすると、本項が読み飛ばされてしまうのがオチだから、もっと単刀直入に論を進めよう。

もしもその音楽から具体的なイメージが見えてくるとしたら、つまり、オーディオ/AVシステムから再生される声や楽器が具象的だったら、あなたはどう思う?
「そんなバカな!」という声が聞こえてきそうだが、デンソーテンのECLIPSE Home Audio Systems 512を初めて聴いた時、私は「このスピーカーが再生する音は、なんて具象的なんだろう!」と素直にたまげた。これまでもスピーカーやアンプなどを聴いて生々しさやリアリティを感じたことはあったが、512スピーカーのそれは次元が違い、まるで生身のアーティストが目の前にいて、その体に触れられそうな気さえしたのだ。こんな経験は初めてだったし、「音が見えるというのは、こういうことか」と改めて感動したのである。

「音が見える」ということは、単に声や楽器が生々しく再現されるだけではない。ヴォーカリストの後ろに、どのくらいの距離を置いてピアノがあってピアニストが鍵盤を弾いているか。さらにその横にどのくらい離れてベーシストが立っているかという、演奏者の距離感がわかるような再生音だ。俗にいう『立体的音場』というやつである。さらには、ヴォーカリストの唇の動きや、ピアニストやベーシストの指の動きもありありと見えてきて、思わず鳥肌がたってくるほど。

「ディア・エラ・ライヴ/ディー・ディー・ブリッジウォーター」(ユニバーサル POCJ-1472)をECLIPSE Home Audio Systems 512で聴くと、まさにそんな体験があなたも味わえる。トラック2の<中国行きのスローボート>では、冒頭のジャスクラブ内の暗騒音の生々しさに驚くはずだ。グラスや食器の当たる音、観衆のお喋りや笑い声が実に臨場感たっぷりに聴こえる。あたかも自分もジャズクラブに居るような感じさえするはずだ。続いて始まるイントロのタンバリンの打音は、膝で叩いている音、手で叩いている音の違いがはっきり明瞭に音に出る。フツーのスピーカーじゃなかなか出ないんですなぁ、これが。しかも512スピーカーは、右手に持ったタンバリンの動きや高さまで鮮明に描写する。歌が始まると、ディー・ディーの唇や舌の様子までが克明に見えてくるし(この人、口が相当大きそうです)。

ピアノは彼女の少し後ろのステージ右手に位置し、ベースは中央後方、ドラムスはさらにその後ろというのが、イメージではなく、具象として音からはっきりと掴み取れるのだ。「音が見える」ということがどういうことか、以上の説明でイメージしていただけたでしょうか。

さあ、アナタも一緒に鳥肌を体験しましょう!