技術の進歩って…/小原 由夫のサイト・アンド・サウンドVol.9

最近相次いで発表された2枚の女性ヴォーカルwithストリングス作品を聴いて、感じたことを今回は書き記してみたい。

その2枚とは、いずれも最新の光ディスクフォーマットによるマルチch(チャンネル)作品。しかし、双方とも最新録音ではなく、1枚は1982年録音、もう1枚は何と今を遡ること45年前の1958年の録音である。前者は、リンダ・ロンシュタットの「ホワッツ・ニュー」のDVDオーディオ盤、後者は、ビリー・ホリディの「レディ・イン・サテン」のSACDマルチch盤。2枚とも、豪華なストリングスオーケストラをバックにジャズのスタンダードナンバーを歌い上げているアルバムだ。

「ホワッツ・ニュー」は、それまでアメリカンポップスの王道を突き進んでいたリンダが心機一転、かつてフランク・シナトラの黄金時代を支えたネルソン・リドル・オーケストラと共に作ったもので、リリース後たちまち大ヒット。それに気をよくして、同じ路線で3作品を続けて制作した。まさに豪華絢爛というにふさわしい堂々とした歌唱と、バックのオーケストラの演奏である。一方の「レディ・イン・サテン」は、ビリー・ホリディの最晩年の録音で、酒とドラッグの過剰摂取で心身も声もボロボロ状態。その悲壮感漂う擦れた声は、まるで魂をすり減らしながら歌っているかのようにも聴こえる。

我が家のECLIPSE Home Audio Systems 512による5chシステムでこの2作品を聴くと、それぞれの盤の特質が一層クローズアップされる。「ホワッツ・ニュー」は、センターchスピーカーに、リンダの生声がノン・リヴァーブで収録されているのがよくわかる。それを補間する形で、フロントL/Rにわずかにレベルを落としてリヴァーブ付きの声がかぶせられ、フロントchでヴォーカルの克明な音像定位を作り出している。一方のストリングス・オーケストラは、ベースとドラムスこそセンターchに置かれているが、主旋律となるメロディーはリアch側を軸にして、フロントL/Rにかけては楽器の余韻にリヴァーブを付加して回しているような雰囲気だ。つまり、リスナーは前方にリンダ・ロンシュタットを見据え、後方からオーケストラの響きに包まれるような感じである。

「レディ・イン・サテン」は、擦れた声に対して、オーケストラの響きが優雅でふくよか。声との対比が一層際立ち、聴いていると何とも切なく、やるせない気持ちになってくる。この盤も、ビリーのヴォーカルをセンターに置いているが、フロントL/RからリアL/Rにかけて少しずつレベルを落とした声を回し、リヴァーブも徐々に深くなっている。オーケストラの音もほぼ同様のレイアウトだ。

僕は、双方とも米国盤のアナログレコードを持っているので、試しに比較試聴してみた。レコードは、プチプチ・ピチピチいうノイズが入り、ダイナミックレンジも最新のDVDオーディオやSACDと比べるまでもない。

しかし、何かが違う。

声の質感というか、リスナーに訴えかけてくる力は、圧倒的にレコードの方が強烈で、生々しいのである。

最新のデジタルフォーマットでのリマスタリングによって、確かに歪みは少なくなったし、S/Nも遥かに向上している。音の微かなニュアンスや強弱も存分に実感できるようになった。しかし、肝心の声の浸透力というか、スピリチュアルな部分、エモーショナルなメッセージが、希薄になってしまっている気がしてならない。そういう部分まであからさまにしてしまうECLIPSE Home Audio Systems 512の能力の高さには、改めて感心させられたのだが……。

テクノロジーの進歩の狭間で、僕たちは何か大事なものを置き忘れてきたのではないだろうか。技術革新って、いったい何なのだろうと思わずにはいられなかった、考えさせられる2枚だった。