ハイビジョンとイクリプスTD  /小原 由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第14回)

ハイビジョン時代になり、撮影用カメラの性能が飛躍的に向上したことで、笑えない問題が発生した。女優や女性タレントの顔のシワやシミが容赦なく曝け出されてしまうのである。若手女優やアイドルならば、肌にもまだ張りがあってピチピチしているからいいとして、オカンムリは、往年の大女優やベテランタレントだ。額や眉間のシワ、目尻の小皺、頬のタルミや鼻の周りのシミ・くすみ、果ては首の皮の弛みまで、画面にリアルに映し出されてしまうのだから、彼女等はたまったものではない。それだけではない、ファウンデーションの粒子や乗り具合、アイラインの太さなど、化粧の濃さまでモロに見えてしまうのである。

別段、今回のテーマは、女優のシワやシミ、ソバカスがリアルに見える、という話ではない。そこまで見えてしまうハイビジョンの凄さを音に喩えてみよう、というのが主旨である。

そこまで被写体の“真の姿”“ありのままの表情”を再現してしまうハイビジョンは、色付けを一切せず、レンズが捉えた情報を忠実に再現しているわけだが、このプロセスは、イクリプスTDが目指しているものとピッタリ一致する。つまり、音楽再生において、入力された信号に何も加えず、何も引かず、空気の振動に正確に変換するというイクリプスTDのポリシーは、ハイビジョンそのものだということだ。

イクリプスTDの卵型エンクロージャーは、音を空気振動に変換する過程で生じがちなスピーカーの“箱”の共振を断ち切るために考えられた。しかも、スピーカーユニットをエンクロージャーからフローティングして取り付けることで、ユニットの振動を箱に伝えないよう工夫されている。

いわば、音のハイビジョン再生を目指したものがイクリプスTDなのである。

さて、ハイビジョンのもうひとつの魅力は、映像の空気感をリアルに感じさせてくれることだ。例えばそれは、情景の透明感が醸し出す温度や湿度であったり、大自然の色彩が連想させる臭いや香りだ。

映像には温度はないし、香りももちろんついてはいない。しかし、あたかもそうした雰囲気を感じさせてくれるのも、介在物のないハイビジョンのクリアネス、リアリティーあってのこと。景色や人物の微細なテクスチャーや奥行き感、丸みや膨らみをハイビジョンが正確に捉えているからこそ、映像が持つ二次的な要素が浮き彫りになるわけだ。

ツイーターやウーファーなど、スピーカーユニットを帯域毎に分けたマルチウェイ型スピーカーは、いわば複数のユニットで1枚の映像を合成して作っているようなものだから、よほど優秀なユニットを使わない限りは、1枚の映像を正確に再構築することは難しい。しかも、分解・合成する過程で、クロスオーバーネットワークという電気回路を通さなければならないが、ここで音楽信号に何らかのロスが生じやすく、再構築することが余計に難しくなる。

フルレンジ1基によるシングルウェイユニットで、クロスオーバーネットワークを用いる必要がないイクリプスTDは、だからこそオリジナルに対する忠実度が極めて高い。ハイビジョン映像が醸し出す温度感や香りと同様、演奏家のパッションや体温、演奏時の表情や身体の動きをリアルに感じさせてくれるのは、イクリプスTDが信号をロスなく伝送し得る状態を用意しているからだ。

ごまかしがきかないイクリプスTDは、音楽ソースをありのまま伝える。優秀録音のよさは十二分に感じさせてくれるが、録音のプアな作品をオブラートに包むようなこともしない。演奏家のスキルの上手い、下手まであからさまにしてしまうことだろう。

ハイビジョンの美しさと怖さ。それと同じレベルの峻別力をイクリプスTDも有しているのである。