臨場感と迫力 ~小型スピーカーと大型スピーカー  /小原 由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第15回)

先日、とてもおもしろい経験をした。“竜巻ハンター”を主人公とした、凄まじいサラウンドサウンドが収録されたスペクタクル映画のブルーレイ・ディスク(以下BD)を、5本のサテライトスピーカーとサブウーファーがワンセットになった、比較的コンパクトな5.1chパッケージスピーカーで視聴した時のことだった。

それはそれは圧巻といっていい高密度なサラウンドで、まるで竜巻の中にすっぽりと包まれてしまったような疑似体験を何度も味わった。観ているこちらも恐怖感が味わえるような凄まじい緊張感、臨場感の連続だったのである。思うにそれは、たとえ小型とはいえども、5chを同一スピーカーで鳴らしたことでの指向特性や音色の統一がもたらした成果だろう。突風の粒子にびっしりと包まれた、高密度で隙間のないシームレスな音場感が現出し、囲まれたのである。

一方で、まったく別の日に、同じBDを大型スピーカーで組んだサラウンドシステムで見た。構成は同じ5.1chだが、フロント3本とリア2本のスピーカーは、メーカーも違えば、エンクロージャーの大きさもユニット数も異なる。

音の印象はずいぶんと違った。大口径ウーファーを搭載した大型スピーカーだけに、確かに迫力は圧倒的で素晴らしく、竜巻が巨大な怪物のようにさえ感じられた。先日聴いた小型スピーカーのサラウンド再生とは比較にならない威圧感とエネルギーに満ちた竜巻で、端的にいえば、面で迫ってくる圧力、つまり音圧感が違ったのである。

しかし、その音が“迫真的”だったかというと、どうも違っていた。小型スピーカーの5.1ch再生で体験したサラウンドサウンドの方がずっと迫真的に感じられたのである。

つまり、大型スピーカーでのサラウンド再生は、迫力はあるが、臨場感に欠けたのである。“こけおどし的”な凄味はあるものの、それがある種の作り物であることが最初から認識できた。一方の小型スピーカーでの再生は、巨大さに伴う怖さはないものの、本物っぽいリアルな臨場感があったのだ。

このことから推測できることは、スピーカーの絶対的価値は、エンクロージャーのサイズやユニット構成/数で決まるのではないということ。特にサラウンドシステムの場合は、5本(ないしはそれ以上の本数)のスピーカーの統一性が重要になってくる。竜巻の猛スピードの風の音は、おそらく5本のスピーカーに均等に振り分けられながら回転するような効果を与えられているはずだが、5本のスピーカーが揃っていないと、このスピード感や音の密度に歪みが生じる。

大型スピーカーで感じられた迫力は強大だったものの、異なるスピーカーであったが故の“いびつさ”が現われたのだろう。私が日頃提唱している、サラウンドを前提に考えるならば、スピーカーの大小よりも、5本を統一することが重要という説がここでも証明された感がする。

イクリプスTDでの5.1chサラウンドセッティングでそのBDをまだ再生してはいないのだが、きっと凄まじい臨場感を味わわせてくれるに違いない。