ブレッカー兄弟の思い出/小原 由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第2回)

私がジャズを聴くようになったきっかけは、15歳の頃に聴いた邦人ギタリスト渡辺香津美のアルバムに衝撃を受けてから。ロック漬けだった当時の“小原少年”に、その奔放かつスタイリッシュなプレイは実に新鮮に響いたものだが、以来フュージョン(当時はクロスオーバーと呼んでいた)と今日カテゴライズされる音楽を聴き始めた私は、新しい分野に興味を持った人が必ず手に取る入門書にて、お薦めのアルバムとして紹介されていた「ブレッカー・ブラザーズ」のファーストとセカンドアルバムの2枚を早速購入。そこで初めて、ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカーという兄弟ブラスセクションを知るのである。

あれから四半世紀、まさかブレッカー兄弟がイクリプスTDシリーズスピーカーの広告に、その音を気に入ったことが縁で起用されるとは、まったく想像だにしなかった。もちろん25年前にイクリプスTDシリーズスピーカーがあったわけではないのだが、彼らが生み出してきた音楽やアルバム、あるいはサウンドの傾向からして、もっとワイドバンドでバリバリ鳴るスピーカーがお好みなのではと思ったからである。

トランペッターである兄のランディ・ブレッカーは、いまでこそオーソドックスなプレイに撤しているが、ブレッカーブラザーズ全盛期には、ワウワウやエフェクター類を大胆に採り入れたエレクトリック・トランペットを存分に操っていた(一説によれば、エフェクターの導入は、マイルス・デイヴィスよりも早かったともいわれている)。また、後にブラジル出身の美人ピアニスト、イリアーヌと結婚した時には、「こんな美人と結婚できて羨ましいなぁ。それにしてもまぁ、美女と野獣だな」と思ったりもした(もっとも、現在は別れてしまったが……。一方、二人の間に生まれたご令嬢が先ごろ歌手デビューしている)。

私はブレッカー・ブラザーズの演奏は生では観ていないが、ランディのプレイはゲスト参加のステージで数回接している。しかし、一番強烈な印象として残っているのは、90年代初頭に当時一世を風靡していた「GRPオールスター・ビッグバンド」での来日時、六本木のバーでばったり遭遇したことだ。たまたまこの時、視聴の仕事で持参していた同ビッグバンドのLD(レーザー・ディスク。懐かしい!)に、拙い英語でサインをお願いしたことをよく覚えている。別掲の写真は、その時のLDジャケットである。

弟のテナー・サキソフォニスト、マイケル・ブレッカーは、来日公演をよく観にいった。自身のバンドはもちろんのこと、ステップス・アヘッド等のグループや、特別企画の公演など、率先して観にいったものだ。

私は彼のプレイが大好きだ。リーダーアルバムはすべて持っていると思うし、サイドメンとして参加しているアルバムも、主要なものは所持している。彼のハードなブロウはもちろん、素早いフィンガリングでメロディーラインをびっしりとつなげていく辺りには、大いに興奮させられたものだ。ジョン・コルトレーン以降、テナーサックスの可能性をもっとも押し広げたアーティストである。特に90年代後半からのリーダーアルバムの数々は、ジャズ・テナーサックスの次代を担うであろう熱気に溢れたプレイが聴けた。

マイケルは2007年1月に白血病にて57歳の若さで他界している。2005年6月に骨髄異形成症候群を患っていることが判明し、約1年半の闘病生活の中で一時は回復に向かったようだが、残念ながら帰らぬ人となった。

これはデンソーテンのスタッフに聞いたことだが、最初に兄ランディが起用されたこともあって、マイケルは当初遠慮していたというか、エンドースメントとしての登場を渋っていたようだ。しかし、512の音を聴き、その独自性と魅力を即座に聞き取り、広告使用を許諾したという。

もしもマイケルがまだ元気だったら、ひょっとすると自分のウィンドシンセサイザー用のモニターにイクリプスTDシリーズスピーカーを使ってくれていたかもしれない。彼のプレイがもう聴けないと思うと、残念で仕方がない。