日本語吹替えのススメ  /小原 由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第20回)

昭和生まれの人にとって、かつて民放の午後9時からやっていた「映画番組」を懐かしむ人は多いのではないだろうか。私もかつてはずいぶん見たものだ。「アラビアのロレンス」や「ベン・ハー」といった大河の名作、あるいは「ドラキュラ」や「ダーティー・ハリー」といったホラーやサスペンス等など、夢中になってブラウン管にかじりついた。ヒッチコックの一連の作品のスリリングな展開にも興奮したし、コロンボ刑事の推理に感激もした。思い返せば、そうやって熱中したテレビ映画番組のほとんどが、「日本語吹替え」の音声ではなかったか。

今でこそ衛星放送が普及してノーカット放送が主流となり、民放の放映でもオリジナル音声+日本語字幕というスタイルが定着している。しかし、かつての映画番組は、それぞれの役者の雰囲気に合った吹替えの声優の魅力も大きかった。クリント・イーストウッドの山田康雄、テリー・サバラスは森山周一郎といった具合。コロンボ刑事は、ピーター・フォーク本人の声よりも、むしろ吹替えの小池朝雄の方がしっくりした。

諸外国では、劇場公開時でさえオリジナル音声での上映はほとんどないという。よほど製作サイド/映画会社の意向がない限りは、押し並べて母国語に吹替えられて上映されているのだ。他方、日本ほどオリジナル音声にこだわる国はないらしい。

だが、日本語字幕というのも考えもので、画面を見ているとはいえ、字幕を追い掛けることになるため、映像観賞という視点ではむしろ蔑ろになっているのが実情だ。

こうした慣習に対するアンチテーゼというか、洋画観賞の新しい試みも生まれている。マーティン・スコセッシ監督/レオナルド・ディカプリオ主演のサスペンス映画「シャッターアイランド」では、著名な字幕翻訳家/戸田奈津子氏に監修を依頼し、自然で滑らかな言葉遣いの“超日本語吹替え版"の上映を実施。その本来の目的は、字幕を追い掛けることで映像への集中力が損なわれ、そこかしこにちりばめられたストーリー展開上の重要なプロットや伏線を見逃さないようにとの配慮なのだが、字幕版の動員と合わせると、4人に1人が吹替え版を観賞したという興味深い現象も起きている。

自宅等でDVDやBD(ブルーレイディスク)等のパッケージメディアで洋画を観る場合、レンタルですぐに返却しない限りは、繰り返し見られるので、例えば最初はオリジナル音声で見て、2回目以降は吹替えで見るということも可能だ。そうすれば映像に集中できる。

私も以前そうしてDVDを見ていた時期がある。しかし、そのアプローチには決定的なウィークポイントがあった。オリジナル音声と比べると、吹替え音声は明らかにサウンドクォリティが落ちていたのである。

これにはさまざまな理由が考えられる。日本語吹替えの音声トラックは、日本の配給会社が制作するケースがほとんどで、予算に限りがあるし、手間もかかる。また、DVDの記録容量という限界もあった。

そうした点が、大容量で、なおかつデータ管理上も面倒さのない(ロスレス音声などの技術が向上)BD時代を迎え、ことごとく解決されてきていることを最近実感している。BDタイトルの多くが、オリジナル音声と日本語吹替えでスペック上はまったく同じ仕様になっているからだ。

最近観た中では、トム・ハンクス主演のサスペンス映画「天使と悪魔」のBDが、オリジナルの英語音声も、日本語吹替えも、まったく同じDTS-HDマスターオーディオ規格による5.1chで収録されていた。その日本語音声で私は大いに楽しめたのだ。

こうしたサスペンスやミステリー映画では、物語の展開において重要なポイントが映像に仕込まれていることが多い。役者の表情や動きも然り。「天使と悪魔」では、私たちに馴染みの薄いカトリック教会やヴァチカンの宗教的な要素の説明などを、いちいち字幕を追い掛けていたら混乱してしまったことだろう。そうした点からも、本作のような内容の映画は日本語吹替えで観た方が遥かに理解が深まると実感した。

ところで、こうした作品の再生には、映像に集中する上でも、微細なニュアンスや微かな情報をしっかりと再現できるスピーカーが望ましい。私が今回BD「天使と悪魔」を日本語吹替えで観賞したスピーカーは、自宅で使用しているTD712z+TD725swによる5.1chサラウンドシステム。スリリングな謎解きが存分に楽しめた。