前方定位
小原由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第25回)

全国的ににチェーン展開する大型レコード店がリアル店舗を次々と閉鎖する一方で、ネット通販やダウンロード市場は盛況という今日、人々と音楽との関わりは様変わりしつつあるように思う。iPodやiPhoneの爆発的普及によって、私たちは音楽に日常的に身近に接するようになった。その一方で、音楽が安易に消費されているように感じるのは、私だけだろうか。

いまや街中いたるところに音楽が溢れかえっている。駅のホーム、繁華街、喫茶店や飲食店、ホテルのロビー、デパートやスーパーマーケット、etc.…。好むと好まざるとに関わらず、否応なしに音楽が耳に入ってくるのが今の世の中だ(中には到底音楽としては成り立っておらず、ノイズとしかいいようのないプアな品質の音もあったりするが…)。

前回の連載で、ヘッドフォンとスピーカーの共通点と相違点について述べているが、改めて考えてみると、いま消費されている音楽や流行りの音楽のほとんどは、ステレオイメージを考慮して録音/ミキシングされているものが極端に少なく、ヘッドフォンで聴いて頭内定位しても違和感を感じにくいことから類推すると、前記したような街中で流していても、取り立てて不都合は起こらない(起こっていない)のであろう。

つまり、始めからステレオイメージやサウンドステージ、ファントム音像をまったく念頭に置かずに音楽がつくられているのでは、という推測もできるわけだ。これは、モノーラルミックス的な考え方であり、2本1組をペアとしたステレオチャンネルでのミックスが考慮されていないということである。

果たしてそれでいいのだろうか?

私が言いたいのは、左から右へギターソロが華麗に流れるとか、ドラムのおかずの多さがL/Rスピーカー間にきれいに展開しなければならないと言っているのではない。2本のスピーカーを結んだ軸上にヴォーカリストの音像フォルムがポッと浮かび上がり、手を伸ばせば触れられそうなリアリティに満ちた肉感的な音像定位に感激したことはないだろうか。街中に流れている音からは、とてもそんなイメージは想像できないだろう。ステージの奥の方から響いてくるファゴットやオーボエの優しい音色の後に、さらにその奥から怒涛のごとく轟くティンパニーやグラカッサの迫力を、喫茶店の天井のスピーカーから再現することは、まず不可能である。

目的が違うと言われればそれまでだが、巷に音楽が溢れかえっている昨今、私たちは音楽がもたらしてくれる喜びや興奮、安らぎ、精神の安息や浄化という作用を忘れてはいまいか。

やはり、時には、スピーカーに面と向って対峙し、前方定位によるナチュラルなステレオイメージや、整然としたサウンドステージを実感しながら、音楽に素直に耳をそばだててほしいのである。

なぜ、前方定位が大事なのか。それは、前を向いて付いている耳に対して、前から聴こえてくる音が、人間にとって生理的に最も落ち着いて聴くことができるからである。後ろや上から聴こえてくる音に対しては、人間はある種の緊張感を抱くことが医学的にもわかっている。

優れたスピーカーと向かい合っている時、スピーカーの存在感は消え、機械は介在せず、まるでその場に生の音楽が響いているような錯覚(イリュージョン)を経験することができる。イクリプスTDシリーズスピーカーは、まさにそうしたスピーカーだ。イクリプスTDシリーズスピーカーでは、音楽のディテイルが浮き彫りになり、ナチュラルなステレオイメージが音として“見えてくる”のである。

まじめにステレオミキシングが施された音楽はもちろん、昨今の流行の音楽であっても、そうやって面と向って聴くことで、新しい発見や驚きがきっとあるはずだ。