“らしさ”とは何か?
小原由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第29回)

よく、「あの人らしいね」とか、「男らしくない」とか言うけれども、そもそも、この“らしさ”とは何だろうか?

英語で調べると、「Identity」になるようだが、どうもしっくりとこない。つまり、人や物を対象とした場合、それを“象徴”する何か、例えば性格や態度、言動や文章、物であれば形状や色、香り、味や触感などが、いかにもその対象を体現しているような時、“らしさ”を感じるのではないだろうか。

「自分らしさ」という言い方があるが、この場合のらしさは、自分自身の感覚であって、他人から見た場合とは異なることも多い。むしろ、第三者から見た場合の方が的確に捉えられていると思うこともある。

例えば、私の職業である「評論家らしさ」を私自身が考えた時、『自らの言動や文章に絶対的責任を持ち、メーカー等と共に優れた物づくりとその改善に努め、当該品に対する印象を事実に則した的確なジャッジや自身の感性によってわかりやすく読者に伝える』ということが、私の考える「評論家らしさ」になる(それは使命と言ってもいいかもしれない)。だが、それはあくまで自分の考えであり、読者の考える「評論家らしさ」とは隔たりがあるかもしれない。

オーディオにおいても、「らしさ」は求められる。例えばマッキントッシュのアンプのらしさは、グリーンのイルミネーションを使ったグラスパネル、“ブルーアイズ”メーター、アウトプットトランスという3点だ。他方、JBLのスピーカーらしさとは、4インチコンプレッションドライバーと15インチウーファーによるホーン型スピーカーという形態だろう。らしさとは、こうしてみると、伝統とか歴史など、ある期間を経て形成される資質、という推測が立つ。

では、イクリプスのスピーカーの「TDらしさ」とは何だろうか? 形式的には、卵型エンクロージャー、フルレンジスピーカー1基のユニット構成ということになろう。たかだか10年ほどの歴史しかないにも関わらず、既にアイデンティティを確立しているところがTDの凄いところとも言えるのだが…。

この“TDらしさ”において、性能や諸特性を向上させようとした時、いくつかのハードルが立ちはだかる。ひとつは、周波数特性の拡大。もうひとつは、パワーハンドリングである。

周波数特性の拡大は、フルレンジ1基にこだわる限り、限界がある。複数個のユニットを使った試作品もかつて検討されたことがあるらしいが、卵型のエンクロージャーが雪だるまのように縦に連結された姿が思い浮かぶ。しかし、当然そこにはクロスオーバーネットワークが必要で、位相特性という問題が浮上する。デジタル・ネットワークでも駆使すれば一筋の光明が差すのかもしれないが、今度はシステム構成が大がかりになる。パワーハンドリングについても同様で、振動板の大口径化や強力な磁気回路は、エンクロージャーのサイズ等とも密接に関わる。

いずれの点も、TDが標榜するタイムドメイン、すなわち、インパルスレスポンスの性能とトレードオフとなるのは必至だ。つまり、周波数特性の拡大を図ろうとすれば、あるいはパワーハンドリング性能を高めようとすれば、インパルスレスポンスにおいて妥協を強いられることになるのだ。

だが、周波数特性の広いスピーカーや、パワーハンドリングの高いスピーカーは、世の中にゴマンとある。そういう要件を重要視する人は、そっちの範疇の優れたスピーカーを買えばいいのだ。だが、インパルスレスポンスに優れるスピーカーは、そうザラにない。特にTDのような図抜けて優秀な特性を誇るものは、他にないのである。

ここで“TDらしさ”が問われることになる。私は、TDが「普通のスピーカー」になってはいけないと思う。それは、特殊なスピーカーであれ、ということではない。数多ある他社製スピーカーと同じ手段を採ってはいけない、ということだ。高い次元でインパルスレスポンスが確保できつつ、周波数特性やパワーハンドリングも高めることができれば、それに越したことはない。しかし、現状の要素技術でそれを実現することは困難だ。オーディオとてビジネスであるには違いないのだが、TDは孤高の存在であれと願う。それがTDらしさなのだから。 この期におよんで、その考え方が決してブレてはならないと、TD発売10周年を機に、ふと考えてみた次第である。