文化を紡いでいく魂
小原由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第30回)

東日本大震災の影響で、多くのイベント、コンサートが中止や延期に追い込まれている。スポーツ、展覧会なども然り。地震によって施設が損傷したり、計画停電の影響で設備が稼働できない状況もあった。また、原発の問題もあって海外アーティストが来日を拒むケースも出ているようだ。

誰も責めることはできない。原発の事故にしても、不可抗力の側面もあろう。危険を厭わず、身を呈して処理に当たっている東電関係者や自衛隊、消防等の応援人員のことを考えたら、この憤りをどこにぶつければいいのか、正直戸惑ってしまう。責めるべきは日本政府の対応なのかもしれないが、そこを批判したところで虚しくなるだけだ。

今は一刻も早く原発の安全を確保してもらうしかなく、その点においては私たちにできることは何もないのだから。被災した方々への支援は、まずは義援金や物資面だが、被災に遭わなかった私たちが今すべきことは、経済活動を停滞させないこと。そのためには、各人が与えられた社会的ポジションの中で粛々と仕事を遂行していくのが大事なことと思う。

だが、先日新聞を見ていて考えさせられた。4月7日付け、毎日新聞の朝刊1面、「余録」において、かつての関東大震災で被災した菊地寛の言葉「我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生存死亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである」は、文筆業(決して文芸家ではない)を生業としている身として、いささか応えた。同様な主旨の一文を政宗白鳥も記している。

私のような趣味の領域を評論する立場は、未曾有の天災の前には無力である。住む家や家族を失った被災者の方々にとっては、生きていくための衣食住が何より先決であり、家電品についても、洗濯機や冷蔵庫といったシロモノ家電が最優先になろう。オーディオ・ビジュアルといった嗜好品に目がいくのは、ずっとずっと後の話である。仕方がない。

だが、前述の新聞記事は、こうも紹介している。芥川龍之介の言葉だ。「芸術は生活の過剰だそうである…しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕らは人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ…過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」。やはり震災後に記した一文らしいが、私はこれを読んで救われた気持ちになった。

そして、こう考えたのである。「文化をつくるのは人の魂であり、強い魂を以て臨めば、文化を伝承する力と勇気を齎らしてくれる」。

実は、そう思える下地があった。

3月29日、横浜赤レンガ倉庫一号館で、パーカッショニストの加藤訓子さんのコンサートを観た。さまざまなコンサートが中止や延期の憂き目に遭い、計画停電の心配もある中、加藤さんはコンサートを決行した。幸い計画停電も見送られ、会場も設備も障害がなかったのだが、何より加藤さんの演奏したいという強い欲求、魂の発散が、開催が危ぶまれる中であらゆる事象をプラスに導いたのだと思う。

この5月にリリース予定の、ミニマルミュージックの権化スティーブ・ライヒの作品集からの曲を中心とした演奏は、様々な打楽器による煌びやかでカラフルなアトモスフィアとなって会場の空気に染み入った。加藤さんの凄まじいまでの集中力は、観て(聴いて)いるこちらにもビンビン伝わってきて、何度も鳥肌がたった。表情はクールだが、内に秘めた炎はもの凄く熱いことが感じ取れる演奏だった。

私はここで演奏された音楽が、被災者の方々への応援歌にも聞こえたし、亡くなられた人々への鎮魂歌にも聴こえた。それが芸術家・加藤訓子が表現できる誠心誠意のメッセージだからだ。

表現したい人がいて、それを受け止めたい人がいる。音楽という芸術が強靭な魂によって伝承され、その力が集結することでとてつもないパワーが生まれ、文化が動く。その瞬間を垣間見たような気がしたのである。

その演奏をそっとサポートしたのが、ECLIPSE TD712zMK2やTD725swであったことを思うと、私はそれらスピーカーを日々使っていることが誇りにさえ思えたのだ。もとよりトランジェント特性に優れたTD712zMK2は、加藤さんが体全身を駆使して繰り出すリズムやメロディーを、まさしく水を得た魚の如く、悠々と表現し、そのスペースに拡充していった。加藤さんが放った波動が、TDスピーカーによってさらに大きなうねりになったのである。

最後に、加藤さんご本人に承諾をいただいたので、会場で配られたチラシの一文をご紹介したい。

「やれることをやれるときに、その時を精一杯行なう。それはどんなことがあろうと変わらない演奏家としての使命です。義援活動も節電も勿論大事です。原発問題も重要です。また現場で決死の覚悟で仕事に携わる方々への感謝も忘れてはなりません。でもこのまますべてを停滞させては、何かいけないような気がしています。

アーティストの私が今ここでできること。

今、目の前にある現実を受け止め、可能である限り、やれることを無心にやる他ない。家がなくなっても、資源がなくなっても、仕事がなくなっても、例え、私の存在がなくなったとしても、音楽はきっとなくならないだろう。今ここに私たちが在ることを励まし合い、そしてこの元気を世界へ向けて発進しよう」

音楽文化が人々の心を癒し、鼓舞し、崖っぷちから救ってくれることを私は信じる。