仕事柄、手にしたアルバムの録音エンジニアやマスタリングエンジニアに誰が関わっているのかが、大いに気になる質だ。もちろんそれだけで音楽の素晴らしさや録音の善し悪しは決まらないが、担当したエンジニアの手腕によってサウンドに影響があるのは、もはや誰もが知っていることだろう。

そんなことを気にし始めた頃から、アル・シュミットは、私にとって“いい音”の印、請負人だ。その存在には一目おいてきた。そんなアル氏が最近ECLIPSEに惚れ込んだと聞き、ちょっと嬉しい。

アル氏がRCA等の大手レコード会社に在籍していた頃は、モノーラル録音時代で、後のステレオ録音全盛期を経て、さらにはアナログ録音からデジタルレコーディング主流の今日まで、アル氏は録音技術のダイナミックな進化・発展・変遷と共に歩んできた。言わばアル氏は、生けるレジェンドなのである。

私の好きなアルバムに、米女性シンガー、アン・マーグレットの1961年作「And Here She Is…」がある。手元にはモノ盤とステレオ盤のLPがあり、モノ盤ではアンのヴォーカルの克明な定位、ステレオ盤ではゴージャスなビッグバンドの響きがそれぞれ堪能できる。モノラルとステレオで別々にテープを回していたかは知る由もないが(時期的にはステレオ録音が増え始めた頃で、ステレオマスターをモノ・ミックスしている可能性大)、この録音はまだ30歳になったばかりの頃のアル氏が手掛けたものなのだ。

今年85歳のアル氏は、未だ現役バリバリに録音の仕事に携わっているが、この頃から既に生音とアンビエンスをバランスよくミックスする手腕に長けていたように感じる。とりわけステレオミックスでは、ヴォーカルとビッグバンドの距離感や広がりにそれが現われている。つまり、響きのレスポンスの捉え方が卓越しているのだ。

私の大好きなロック・ドラマーである元TOTOのジェフ・ポーカロが、最も信頼しているレコーディング・エンジニアとしてアル氏の名前を挙げていたことからも、そのマイキングがいかに巧みだったかがうかがい知れる。

アル氏は、TOTOの4作目「TOTO IV/聖なる剣」でグラミー賞の「最優秀録音エンジニア賞」を獲得しているが、ジェフ・ポーカロは、アル氏がドラムセットに対してマイクをどの角度でどの程度離せばリアリスティックに録れるか、完璧に把握していたと生前インタビューで述べている。すなわちアル氏は、スティックが叩いた皮やシンバルの振動が空気中をどう伝搬していき、それをどう収録するのが理想的かを掌握していたということである。

これは、インパルスレスポンスの応答性を重視したECLIPSEスピーカーのコンセプトとも共通する。スピーカーの振動を太鼓の皮、マイクを耳に置き換えれば、発音体から出た音が空気中に伝わっていく仕組みの中で、トランジェントがいかに重要であるかということにもつながるわけだ。

ドラムのレコーディングは複数本のマイクを立てるが、それぞれのバランスを取るのが難しい。複数のマイクからの各々の音源を整えて一式のドラムセットが鳴っているようにする作業は、「ミキシング」の一種である。アル氏はレコーディング/ミキシング・エンジニア(ミキサー)としてクレジットされることが圧倒的に多い。録音とミキシングは、すなわち表裏一体である。

アル氏が初めて接したECLIPSEスピーカーはTD712zMK2で、アル氏が手掛けた音源を使ってデモが行なわれた。後にアル氏は、レコーディング時の音そのものだったと述懐している。

そうした評価を追体験できる音源が、2012年リリースのポール・マッカートニー作「キス・オン・ザ・ボトム」で、その96KHz/24ビットのハイレゾ音源をTD712zMK2で聴くと、アル氏の言わんとすることがよくわかる。

1曲目の「手紙でも書こう」は、シンプルな編成によるジャジーな伴奏で、ピアノのクリアーなタッチやギターのカッティングの心地よいスウィング感の中で、おそらくポールがリズムを取っているのであろう、靴で床を叩く音が間奏部で聴こえる。そのリアリティたるや、トランジェント性能に優れるTDスピーカーの真骨頂という感じだ。

そんなアル氏がTD-M1を昨年のAESで聴いて以来、その忠実なサウンドに感激し、自宅で愛用中という。スタジオで録音したばかりの音源を自宅でチェックするのにTD-M1はピッタリで、スタジオで再生した音と何ら印象が変わらないと評価しているのだ。

ジャズやポップス、ロック、ソウルなど、幅広い音楽ジャンルで録音とプロデュースに長年携わってきたアル氏は、TD-M1の音は透明感があるという。音楽的な向き・不向きがなく、先入観なしで聴いてみてほしいとも言い切る。ECLIPSEはこうして今、偉大なキャリアを誇るレコーディング/ミキシングの巨匠の片腕として、最新のいい音を生み出しているのである。