日本を訪れた2015年9月、とあるレコーディングセッションでECLIPSE TD-M1スピーカーを紹介された。 それは友人であり仕事仲間でもあるAkira(深田晃)がその時のレコーディング用モニターとして準備していた。Akiraはそのホールで録音した自分の作品をいくつか聴かせてくれた。
そして、 私はうろたえた。 この音は本当にこの小さなスピーカーから?
その時の音、特にサウンドイメージは、スピーカーが普通再生するものとは大きく異なり、大変興味をそそられるもので、自分の耳が信じられなかった。
その時はレコーディングセッションで行っていたから馴染みのないスピーカーは使いたくなかったので、私が長年リファレンスとして使っているスピーカーに切り替えてもらった。
セッションの後、スピーカーを開発したHiroshi(小脇/ECLIPSE)を紹介された。彼はスピーカーのコンセプトやテクノロジーについて説明してくれ、後日ためしにポリヒムニア・スタジオ(オランダ)にTD-M1を1セット導入してみることにした。
このスピーカーはニアフィールド・モニター用として設計されているので、自分が20年間作業しているスタジオ・デスクの上に並べて聴いてみた。
普通、音楽を聴くときは音と技術を切り離すことは出来ないだろう。音楽を楽しむと同時に、自分自身がスピーカーを聴いているということを常にわかっている、という一体的なことだから。そしてその音は人工的だということには気づいているので、演奏の良し悪しを判断するだけでなく、スピーカーの質についても評価をしている。これが我々が知っている「音楽再生」だ。
ECLIPSE TD-M1で聴くと、オーケストラが突然スタジオの中央に現れる。
美しい音楽がそこにあり、それはただの音楽ではなく、むしろパフォーマンスとしての演奏が自分の目の前に現れる。完全なるサウンドステージ。とても幅広い。そしてものすごい奥行き。まるで砂漠の真ん中で現れる蜃気楼のようだ。
私はキツネにつままれたような気分になった。
スピーカーはどこ? ミュージシャンが見当たらないからスピーカーがあるはずだが。 これはどちらかというと、自分がとてもいいコンサートホールの後方に立ち、そのホールの反対側のステージにフルオーケストラがいるような感覚。
自分はオーディオのプロで、音楽を一日に何時間も聴いている。それゆえ仕事として音楽に対峙し、楽しみや芸術として向き合っていないという問題が自分にはある。だから新しいスピーカーや技術について納得したり、びっくり仰天することはまずない。何年もの間、ずっとそうだと感じていた。 そう、このスピーカー以外は!
だが、このすべての美しさはどこから来るのだろう?
それは奇跡だった。日本で初めてこのスピーカーと出会ったときの経験と同じように。「音楽はスピーカーから聴こえるはずだ」という人が、机の上のあなたの目の前にあるこの小さなスピーカーから出ていることに気づいた途端にショックを受けるだろう。 この大きなサウンドステージ。そしてこの小さなスピーカー。ありえない。
この違和感はとても大きい。
このショックから立ち直りながらしばらく聴き続けていると、このスピーカーがパーフェクトでは無い事にも気づくだろう。いくつかの欠点も同様にあり、音色は均等ではないかもしれないが、気を散らしたり苛立ったりさせられるというほどのことではない。(また素晴らしくエレガントなデザインには言及さえしていないが)
ECLIPSEがどうやったのかは知らないが、彼らは何かとてもスペシャルで、全く新しい音のコンセプトを作り上げた。 彼らはスピーカーづくりの聖杯をみつけた。 聴くことの出来ないスピーカーを!!