2004年9月13日に長野県松本市文化会館にて行われた小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラの演奏を、長野朝日放送とBS朝日がECLIPSE TDシリーズスピーカーTD512/TD508を使って収録しました。今回はオノ・セイゲン氏がその現場に伺い、実際に収録に携わった長野朝日放送の岩井和久氏、テレビ朝日映像の井上哲氏ほか、お仲間の方々のインタビュー形式で現場レポートをお伝えします。サイトウ・キネン・オーケストラ収録の知られざる舞台裏や日本トップクラスのレコーディングエンジニアの方々が語るレコーディングノウハウなど、音楽・録音・放送関係者は必見です。
サイデラ・マスタリングでは、サラウンドのリファレンスモニターにECLIPSE TDシリーズスピーカーTD712zを5本導入したところです。512/508とも長く使用して来たのでその特性を良く分かっているつもりですが、中継車に508を5本というのは理に叶っていると思いました。サラウンドで5本というのは、2本のステレオスピーカーではまったく不可能な空間を簡単に伝えられるようです。
世界でも最高レベルの演奏が聴ける、サイトウキネン・オーケストラ。オーケストラというダイナミックス、さらに今回の曲はバルトークでチェンバロやグロッケンといった繊細な音色に至るまで、まさに完璧なパフォーマンスです。ホールも含めた空間、それを小さなECLIPSE TDシリーズスピーカーTD508が業務用に耐えられるかも注目でした。というわけで松本に来てサイトウキネンの収録現場の模様を中継終了後に取材させてもらいました。(敬称略)
オノ・セイゲン:中継のお忙しい中、岩井さん井上さん、お仲間の皆さんまでお集りいただきありがとうございます。前から思うんですが、井上さんの仕事は、いつも自然なサラウンド空間を録りますよね。今回は中継車でのECLIPSE TDシリーズスピーカーTD508の使用はおそらく初めてですね。空間再現性とかいかがでした?
井上哲(テレビ朝日映像ViViA):みなさんおっしゃってた通り、定位や音の分離がくっきりするんです。やっぱりすごくミキシングはやりやすかったですね。
オノ:今回、中継に持ち込んだ理由は?
井上:やはりイクリプスの見た目から(笑)。最初にイクリプスが気になったのは、こういうとわざとらしいですけど、セイゲンさんがよくスタジオやライブで使われているのを見ていて気になっていたんです。たまたまセイゲンさんのイベントで聴いた時に担当者の方をご紹介いただいて、大阪の仕事のついでにデンソーテンの神戸本社まで聴きに行きました。そしたら、クラシックのアコースティックの楽器の定位感がすごくくっきり出るんですね。スピーカーっぽくないというと変かもしれませんが。普段はジェネレックのパワードとかをよく使うんですけど。
オノ:今までこういう音のデザイン、カラーリングのないスピーカーは無かったですね。大なり小なり色付けされているので。
井上:クラシックなんかの大人数のアコースティックを聴くにはひとつひとつの分離がいい方が良いじゃないですか。これはいいなあと第一印象で思って。今年のサイトウ・キネン・オーケストラに関しては、最初は六本木ヒルズでの生中継イベントの方で再生用スピーカーとして使ってみようと考えていたんですが、考えているうちにこれって中継車のモニターにも使えないかなと。ただ512ではサイズ的に5本は厳しいので508であればいけるんじゃないかなと思ったわけです。
桂川:そうですね。中継車に置くにはちょうどいい大きさだし。さっきのアタックの話なんですけど、リアのサラウンドのアタックが近いかなって思ったのも、イクリプスで聴くと判っちゃう。あれね、普通のスピーカーだとそこまで判らないですよ。だからミキシングする人にはすごーくいいスピーカーだなって。
オノ:でもライブ収録っていうプロの現場でどうなんでしょう?512はさすがに中継車に5本はサイズ的に苦しいとして、サラウンドなら508でも大丈夫?ティンパニまではさすがに出ませんでしたよね。
井上:フォルテとフォルテッシモではいつもの感じと変わりますね。
オノ:508はこの口径ですから、限界ですよ。
井上:あれが512だともう少し余裕があるんなら、試してみたいですね。フォルテッシモでちょっとざらつくというか。
桂川:コーン紙を見ててもちょっと暴れてる感じがしますね。
井上:ぶるぶるって鳴っていますね。見た目でも。
桂川:さっきの話しで、512だと口径も大きいから慣性モーメントも大きいじゃないですか。すると再現能力が劣っちゃうとかないんですか?
オノ:そっりゃあ、限界あるでしょう。でも今度でてくる712はかなり改善されましたね。さっそくうちのスタジオ(サイデラ・マスタリング)では酷使しています。
桂川:理屈はマイクもやはり同じですね。ショップスのスモールダイヤフロム理論、要するに慣性モーメントが小さい方が、ぜったいいい音で録れると。
オノ:質量がなければいいんですね。空気の抵抗もなければいいですね。空気の抵抗がないと音にならない...。
入交(イリマジリ):でも大きいラージダイアフラムの無指向のマイク(DPA-4041)と、小さいもの(DPA4006)とをそれぞれ聴き比べた事があるんですが、やっぱり向き不向きがあるというか、その大きい方が作品感というか...良い場合もありましたね。 ところで今日は、スポットマイクっていうのか、2ミックスを足してますよね?ということはセンターには足してないんですか?
井上:いえ、ちょっと足してます。センターにサラウンドマイク、オフマイクの音があるじゃないですか、それに対してバランスが合うように。やり過ぎるとモノっぽくなっちゃうんで、ほんのちょっとこぼしています。LCRで全部出来れば一番いいんですけどね。
オノ:昔のスタジオレコーディング、50年代、60年代のサウンドトラックなどはLCRの3トラックっていうのが多いんですよ。映画のセンタースピーカーの考え方は昔からなんですね。
みんな:ああ、そうなんですか?
オノ:もちろんセンターはダイヤログ用が多いですが、そのもとの音楽テープでもLCR、3トラックからというのは多いですね。そこから2chやステレオにミックスダウンされてLPなどになってきたんですね。 ちょっと話は飛びますが、2003年にヴァーブ(※1)のリマスタリングをやらせてもらい、当時のアナログ・テープのレコーディングには本当におどろきました。
(※1) VERVE CM
ヴァーヴを代表する10枚の名盤を、現在考えうる最高の技術でリマスタリングした究極のシリーズ。オノ・セイゲンが、ニュージャージーのテープ倉庫に厳重に保管されているオリジナル・マスターテープを現地でデジタル・トランスファー。そのデータを日本に持ち帰り、1-bit/DSDでリマスタリング。従来のCDとは一線を画す、至高のアコースティック・サウンドを再現しました。イクリプスで聴くとサイデラ・マスタリングと同じ環境で再現できます。
入交:僕も少ない経験しかないんですけど、ダウンミックスを考えるとLCRで作った方がいいような気がしたんですね。
井上:そうですね、去年やった時は、まずとにかくサイトウキネンでサラウンドを実現するっていうことが第一だったんで、LRがメインでサラウンドアンビエンスを足して、みたいな少し消極的なつくりでした。今年は交渉過程やプランニングで岩井さんががんばってくれたこともあって、LCRパンやアンビスクエアも出来るようになりました。
オノ:イクリプスのスピーカーはマイクセッティングの確認にも最適ですね。
桂川:悪いところもすぐ判る。自分のマイクの確認、オンマイク、オフマイクの違いもすぐ判る。
オノ:マイクの位置、距離感、手にとるように判りますね。
井上:普通のスピーカー選ぶ時って、音色とか、スピーカーを聴いた時の感覚、ローが良く出てるとか、ハイが伸びているとか、そういうのとは違うんですよね。そこでちゃんと楽器が、そこにピアノ、あるいは弦が鳴っているのが判るというか。そういうのが印象的ですね。
入交:メインの2chステレオミックスの方は512を使用していましたよね。それで補助マイク、スポットマイクをあげていくじゃないですか、それが普通のスピーカーだと、「これぐらい?」適当っていうか、わりと馴染むんですが、今日は(512だと)「ここじゃないとだめ」っていうぐらい厳しくなりましたね。メインの定位とずれていると違和感を覚えます。
オノ:整理すると、マイクの距離が判りやすい。マイクと楽器の位置、定位感や、あとパンニングするのも判りやすい。
井上:そう。パンポットは本当判りやすい。
入交:今まで(100分の)5単位くらいでよかったのが、ひと桁までシビアになってきましたね。
桂川:クラシックってスポットマイクが使われているのかどうかが判らない様にごまかすのが重要かと思うんですが、そうするとハードセンターを使うことによってスポットマイクを使っているのがバレちゃうっていうのがないですかね?それは結構神経使うっていうか。
入交:それでね、僕が感じたのは、タイムラインを合わせる。要するにディレイを入れて合わせるじゃないですか。
オノ:スポットマイクにね。
入交:ちょっと多めにいれてメインマイクで定位したあとにスポットマイクが来る様にするとうまくごまかせましたね。
オノ:岩井さんの2ミックスはディレイはいれてないですよね?
岩井和久(長野朝日放送制作技術音声):入れてないです。
井上:で、岩井さんのブーストをもらった僕の方でスポット全体にディレイを入れています。厳密にいうと楽器の場所で違うんですけど。
オノ:じゃあ、まあ20ミリSecくらい?
井上:ぴったり!ちょうど20。後ろの打楽器系に合わせて。
オノ:それがあるのでワンポイントでやりたくなるんだな。メインアンビエンスがすべてでスポットはあくまで補助。
桂川(テレビ朝日):サラウンドのミックスに慣れてしまうと、2chのミックスの時に逆に苦労するんじゃないかなあ、と思うんですがどうですか?
井上:確かに、表現力が違いますからね。サラウンドミックスしても自分でステレオのダウンミックスまで聴きながらやりますし、あまり抵抗はないですけど、やっぱりステレオにするとショボくは感じてしまいますよね。
桂川:サラウンドのミックスっていうより原音に忠実につくる手段として優れているんで、サラウンドでこれぐらいって思っていたのをステレオで同じようにすると苦労するじゃないですか。
井上:表現力としてね。岩井さんはステレオをヘッドホンでミックスされるじゃないですか。自分でされたステレオのあと、僕のをチェックしてもらいました。
岩井:サラウンドをチェックさせてもらった時に、これだったらもうステレオにはかわなくなっちゃうよなあって感じです。
オノ:それは僕もいつも思います。2chステレオはいろんなところに妥協していかないと、楽器がならんで互いにマスキングし合っちゃうんでね。サラウンドだとEQも何もしなくて成り立つのが、ステレオで並んだり、重なった瞬間に分離を良くしようとすると、現実にはないはずなんですがEQで補正しないとくっきりしないんですよね。サラウンドは自分が能動的に聴きたい主たる楽器、その背景となるアンサンブルの構成とか、繊細な部分を脳が自然に聴き分けていますね。
桂川:サラウンドのミックスから始めた方が易しいんじゃないかって思うことがあるんですよね。下手な小細工しなくていい。
オノ:この間井上さんがテレビのサラウンドでされてた音楽ライブでも、あるいはスポーツ中継にしても何もしないでそのまま伝わってきますよね。
井上:だからこそ、僕はいつも生放送にこだわりたいですね。生放送って小細工も出来ないし、今回も生中継ですけど、小細工、後処理をやりたくても出来ない。サラウンドだとそのままがより生きるんで。
オノ:そう。2chステレオでは小細工との戦いですね。これが聴こえない、今度はあれが聴こえないって。
桂川:ドキュメントですね。
オノ:それにしても演奏の素晴らしさは特筆ものですよね。ミュージシャンとして(中継車内で)聴いているともう鳥肌ものです。
岩井:すごいですね、他のオーケストラとは違います。
オノ:ゲネプロからリハまで全部立ち会えてうらやましいなぁ。 岩井さんはサイトウキネンの制作に携わって何年になられるんですか?
岩井:7年目ですね。
オノ:最初のきっかけは?
岩井:最初は国宝の松本城で野外のオペラを中継するっていう話から。それからホールでやったり、となりの体育館でもやりましたし。年末のマーラーもテレビの企画として中継をしたいということで2回やらせて頂きました。
井上:すごいですよ、東京でもなかなか出来ない規模を、本当に少ない人数と機材でやってるんです、僕も最初はプライベートで見学に来たんですが、地方局のチームがここまでレベルの高い事をやっていることに驚きました。それからは岩井さんは師匠みたいなもんです(笑)
オノ:いつもは岩井さんがステレオのミックスをヘッドホンでされてきて、井上さんがサラウンドのミックス。で今回はお二人の間でそれを交代しようという話もあったんですって?
井上:ええ、僕はずっとサラウンドのミキシングをやってきて、クラシックの2ミックス(ライブをそのままダイレクトにステレオ2chミックスに仕上げる)は経験が少ない訳です。岩井さんは2ミックスは何年もやってこられて、逆にサラウンドはまだ踏み入れてない領域で、何年かチームとしてやってきましたから、今年はお互いの得意な部分をフォローしつつ、踏み入れてない領域をやってみよう、と当初は思ってました。ただやっぱりいろんな制約とか、チェックが入ること、長野朝日やBSでの放送までのケアーなどを考えて、最終的に得意な方で行く事になりました。生収録ですから失敗は許されないし、今回は曲も難しいですし...。
岩井:この曲、弾く方も難しいので、録る方も難しいんですよ。
オノ:打楽器のアタックが多いですね。
岩井:打楽器が多いのと。ピアノとかチェレスタとか普段、オーケストラに入ってこない楽器が入ってくるので、普通の交響曲の方が簡単ですね。
オノ:岩井さん、コーヒーブレイクの時もスコアを片手に井上さんと打ち合わせていましたよね。
井上:岩井さんのバランスがあって、なんとか僕のサラウンドも成立した感じです。
オノ:ところで、その六本木の中継イベント会場では、作曲家の冨田勲さんや「ミック沢口の寺子屋塾」(※2)の方々でかなり盛り上がっているらしいですよ。これって全国放送ではないんですね?
岩井:地上波は長野県だけのローカルです。
オノ:もったいない!僕は外から見ていて、もう羨ましくてね。全プログラム行きたいけどチケットも結構いい値段ですが、それより取れないんですよ。テレビででも見れるものなら是非見たかった。
岩井:BS朝日で流れるようになってから全国でも見れるようになりましたけど。地上波は長野県だけで一回だけ流れて、まあ再放送も1回だけ。
井上:で、もったいないから生中継やろうってことで、去年から六本木ヒルズの中継イベントを始めて。BS朝日でもお正月にサラウンドで全国オンエアーされるようになりましたけど。
オノ:いやあBSはいいですねえ。 サイトウキネンで子供達の為のプログラムがあったり、長野県の子供達はこの何年かで急激に音楽レベルが高くなったんじゃないですか?
岩井:なりましたねえ。
オノ:やっぱり!
岩井:吹奏楽部もここらへんは多いですよ。
オノ:長野県の人たちは良かったですね。吹奏楽部が盛んですか。いいですねえ。
岩井:こどもの音楽会というプログラムもあって、長野県の小学生を順番に7000人ほど対象にしているんですね。
オノ:オーケストラが最後だとすると、それに至る過程を全部ドキュメンタリーで見れたりすると勉強になるんですが。
岩井:去年までは、1000人合唱といって、小澤さんの指揮とサイトウキネンの演奏に1000人の公募の合唱があって、それを練習からずーっと追って行ってドキュメンタリーにしていたんですよ。
オノ:うわあー、それは面白そうですね。それも岩井さんの仕事ですね。
岩井:そうですね。フェスティバル中にやっている公演でうちが放送するものは大体やっています。
オノ:専門はもちろん音声ですよね。
岩井:そうです。でもニュースもやりますし、ENGのロケにも行きますし、スタジオで人が足りない時はカメラも振りますし。ローカル局ってこういうものなんです。3人で中継、MA、まあ収録からオンエアーまで全部できるのは有り難い事です。最近はテレビ朝日映像からも応援をしてもらい、井上くんにサラウンドをやってもらって。
オノ:井上さんと5chと2chステレオが、ライブ中に2つのソースが同時に出来るのはいいですね。7年もやってきて面白いことは何ですか?
岩井:7年前はクラシックはそんなに聴かなかったですけど、これをやるようになって、楽譜も追うようになりました。最初は鳴っている楽器も良く判らない様な状態で始めたんですけど。まあ自前のスタッフだけで、なるべく自分たちでここまで日々やってきました。
(※2)ミック沢口の寺子屋塾
ミック沢口氏は、サラウンドの世界を拡大すべくエンジニアのノウハウを公開、アーティストから家庭再生環境までをひとつの鎖にしてお互いの知識を共有すべく塾を主宰。放送局、音楽のエンジニア、プロデューサーからミュージシャンまで人気の勉強会はホームページにより一般にも公開されている。仕事でもNHK技術センター長、AES T.C SPAP委員会共同議長と公私ともにサラウンドの普及にあたっている。
オノ:子供達への影響は、本当に大きいですね。
岩井:合唱のレベルも上がってきましたね。
オノ:長野県は子供が健全に育っているのが目に見える。音楽や番組からの教育的効果。それも無意識のうちに地域に密着して、その地域の人の情緒、教養、人間としての感性が育まれる!いいことだらけですね。国を挙げてこういうことをもっと盛んにやっていただきたいものです。
オノ:今日はすばらしい中継を取材させていただきありがとうございました。 全国のエンジニアに向けてメッセージ一言いただけませんか?
岩井:現場で2ミックス録れるようになりましょう。それが一番だと思います。
井上:現場で5.1ミックスとれるようになりましょう。僕もがんばります。
オノ:いいことおっしゃいますねー。それが現在の音楽制作のもっとも欠けてるというか、30年掛かって退化して来ちゃったことなんですよ。今日は本当にありがとうございました。
(左)岩井氏(右)井上氏