今回はロッテルダム音楽院を打楽器奏者初のクムラウド称号を授与されて首席で卒業し、サイトウキネンオーケストラでの活躍を経て、今独自の音楽空間創造に挑んでおられる加藤訓子さんの素顔に迫ります。
小学校では何でも出来て、まずはピアノから、、、
小さい頃の私は、勉強もスポーツもオール5で、健康優良児で、、、と、とにかく何でも出来る子でしたが、毎年通信簿に書かれるのは、「非常に何でも良くできますが、やや消極的、、、」(笑)。確かに小さい頃はすごく引っ込み思案で、自分の事を沢山しゃべるとか「ハイハイハイ」って(進んで手を挙げる)人がいるじゃないですか、ああいう事がとても出来なかったのです。いつも母親の陰に隠れて、という様な感じで。これは特に幼少~小学校時代のことで、今でも多少はそういうところが残っていますが、年を追うごとに「強くならなくっちゃ」って思っていました。
で結構自分なりに努力をして、小学校の高学年くらいになると学級委員等もやったりするようになっていましたね。そのころやっていた楽器はピアノ。私の小さい頃はどこの家にも一家に一台ピアノがあって、どこの子もピアノを習って、という環境だったので、私もまずはピアノかなと。ここからはずっと音楽が一緒にありました。
手が小さいので、他の楽器を、、、
ただ私は手が小さいんです。なんだかこう派手なのを弾きたくても全然弾けなくて。年頃になってくると、オクターブがままならない感じでモーツァルトばっかりやっていてもつらいじゃないですか(笑)。だんだんフラストレーションがたまってきて、もう少し自分が好きでやっていける楽器を探していたような気がします。そのころはヤマハ音楽教室にも通っていたのですが、ヤマハだといろいろな楽器に触れる事が出来る機会があり、そういう中で比較的打楽器に触れることが多かったんですね。
ピアノってすごく難しくて、厳しい世界で一人で創り上げていくのは、子供ながらにきつかった(苦笑)。そこで、ビートを刻んだだけで「ああ、きもちがいい!」というようなリズムだけの音楽に出会い、それからマリンバサウンドの感覚にはまったんですね。確かに音色はピアノとも近いのですが、どこかネイティブな独特の響きに魅力があるんです。中学生の12-3歳頃のある時に「あっこれだなあ!」って感じた事があり、すぐに「私はこれをやる!」って言って、自分の意思で決めました。
大学で打楽器の持つ独特の世界にはまって、、、
高校のときには楽器を揃え、豊橋から浜松まで習いに通っていました。当時の先生は、桐朋学園の卒業生で、世界的なマリンバ奏者である安倍圭子先生の弟子で、とてもいい形で導いて頂きました。桐朋学園に入ってからはマリンバを安倍圭子先生に師事し、打楽器もオーケストラとか他の打楽器全般に関する事など、クラシックをしっかりと勉強をする機会に巡り会えました。
日本の中ではあまり他の打楽器に出会う機会って少ないんですね。中学や高校ならブラスバンドくらいかな。でもブラスバンドの世界では打楽器というと小太鼓とかシンバル、トライアングルという基本的な楽器にしか出会えませんが、打楽器の世界っていうか、打楽器だけのソロ曲があったりとか、曲をやるときに打楽器を自分で材料を選んだり、楽器なども作ったりする、そういう世界があることは大学に入ってから知ったので、「ああこれは面白い!」って。(笑)
大学を卒業してロッテルダムへ、、、
大学を卒業した後、研究科に席を置きながら一人で勝手にヨーロッパに行きはじめました。きっかけは、当時は打楽器のソロの世界に関する情報が日本にまだあまり無く、曲とか作曲家のものをどうやるのかも分からなかったし、ヨーロッパってどんな国かという事すらも分からなかったので、じゃあ実際に現場を見よう、って感じで。最初に行ったのはドイツのフライブルグで、そこに今やカールスルーエ国立音楽大学教授になっておられるパーカッションの中村功さんをたよって行きました。そこのバーナード・ヴルフ先生の教えを受けながら1ヶ月間そこに滞在したのですが、そういう感じであちこちを転々としている間に、フェスティバルやコンペティシションがあれば参加したり、そういう中でロバート・ヴァン・サイスというアメリカ人の先生に出会いました。
パーカッションやマリンバの奏法というのはまだまだ世界でも確立されていないのですが、日本とヨーロッパではスタイルが色々と違うので、むこうに行ったら持ち方などを全部変えられるというような事もあり、特にその先生はそういう指導を結構細かくされる先生だったんです。ところが不思議と私に関しては自分が持っているものを変えないで、色々と自由にさせてくださったので、自分としてもボブ(ロバートの通称=向こうでは先生でも呼び名で言い合います)の指導にうまくついてゆけました。そんなボブの薦めもあり、まあ奨学金も出して頂ける(笑)という事でしたので、「色々見た中でオランダは勉強するには結構いいところだな」と思い、ロッテルダムコンセルバトリウムという大学に入る事にしました。
フランダースの犬はいなかった、、、
大学に入るに先立ち、まずはロッテルダムに住むところを探しに行ったのですが、何故かそこでは、色々な事がひとつひとつスムーズに行かなかったのです。駅に降り立った瞬間からなんだかザワザワッていうか、胸騒ぎもして、毎日心配事は多いし泊まるところを探してもうまく見つからないし、友だちを頼っていってもうまく会えない、アパートはなかなか高くて見つからない、とか、、、。
そうこうしているうちにひょんな事からベルギーのアントワープに住んでいた桐朋学園時代の友だちのところに遊びに行ったんですね。するとアントワープとロッテルダムの生活環境の違いに「えっ!なにこれ!」って感じで。アントワープはとてもヨーロッパの街らしく、いい感じで、とにかく何でも安いし食べ物はおいしいし(笑)、アパートもすべてヨーロッパ調、しかも家賃も全然安く、空きだらけ。ロッテルダムは全てコンクリート調だったんです。まあ近代的なんですけどね。それで即、アントワープに住むことに決め、それからはヨーロッパ的な生活を送り、おいしいものも食べて(笑)、音楽漬けの毎日、充実していました。ただ通学は電車で1時間くらいかけて国境を越えながら学校に通っていましたので、あまり学校には毎日行かず、まじめな生徒とは言えなかったかな。
アントワープには、「フランダースの犬」の日本のツーリストがいっぱいやって来ました。でもあの話、実はアントワープではほとんどの地元の人は知らなかった(笑)!?アントワープのあるベルギー北東部はフランダース地方といい、話自体は一応あったらしいんですが、作者もイギリス人だったということもあり、それほど有名な話ではなかったようです。ところが「ネロとパトラッシュの銅像はどこ?!」っていう日本人観光客があまりに多くなったので、逆に「えっ、なにそれっ?」って感じで、慌てて街のスポットとして銅像や記念碑が作られたとか(笑)。
サイトウキネンオーケストラに入ったきっかけ、、、
私が参加していたのは、1994年から2004年くらいまでです。
あれも不思議な縁というか、不思議な選抜のされ方をするんですね。最初に入るきっかけというのは必ず世界中で活躍している桐朋の先輩達が推薦してくださるようです。それでどこかで「加藤訓子」という名前をあげていただいたんだと思うのですが、不思議な事に私がヨーロッパ他どこにいても事務所から連絡が入ってくるんです。ヨーロッパにいる時に当時自分の持っていた携帯に電話がかかってきた時は本当にびっくりしました。引越しをしても、今どこにいるのかを探し当てて、いつのまにかファックスが届いたりしていました。サイトウキネンオーケストラでの活動はすごく刺激的でしたね。本当にああいう世界中から最高のプレイヤーたちが集まり、その個性と自由な表現が出来るオーケストラってなかなか日本には無いので、とても良い経験が出来ました。
結婚してアメリカへ、、、
2000年にアメリカのナッシュビルで大きなパーカッションのコンベンションがあり、それに参加したのですが、そこで当時パール楽器の代表をやっていた主人に出会いました。それからちょくちょくアメリカに行く様になって(笑)。で結婚したのが2003年です。そんな縁で今ナッシュビルに家があり、住んでいるという訳です。
ソロ活動重視への転機、、、
サイトウキネンに参加していたころは、オーケストラから室内楽まで、呼ばれれば何処へでも行き、何でもやっていました。ソロはその合間に「ちょっと」って感じで。ところが、そういう風に色々やっているうちに、ある時パリで突然めまいを起こし、眼球がこう痙攣したような感じになって動けなくなってしまいました。突然のことで驚きましたが、あまりに気持ちが悪かったのでちょっと悩みましたね。仕事にも影響が出たり。。。
それで少し活動を減らし、落ち着いて色々考える事にしたのですが、すると自分が今までいろいろとやっているようで、何もクリエーティブな物を生み出していないと気づいたのです。そこでもっと「創る」ということをじっくりとやりたいと思う様になり、まずは仕事を選ぶ事もそうですが、ソロ活動の舞台を作っていけないだろうか、という方向に切り替えていったんです。
まだ打楽器ソロの需要も少なく、実際ソリストとして定期的なオファーがある訳でも無かったのですが、自分でそういう方向に変えて行き、ひとつひとつのステージを自分で考えたり、オリジナル作品を作ってみたりしてゆきました。空間作りとコンサート2時間のトータルコーディネート、企画プロデュース、そして最終的には観客の皆様との空気感をどう自然に創り上げていくか、すべて自分次第で変わっていくというのが面白くなってきました。
ECLIPSE Home Audio Systemsを聴いて、、、
音源創りやダンスとのコラボレーションなど、ステージで使うサウンドに関しては、私自身でも生音をミックスして編集もするのですが、そのモニタースピーカーを探していたところ、知り合いの著名なスタジオエンジニアの方に推薦いただいたというのが、ECLIPSE Home Audio Systemsとの出会いのきっかけです。
始めて音を出したとき、そのサイズからのイメージを越える意外なパワーにびっくりしました。それからさまざまな生楽器の音の立ち上がりの綺麗さにも驚きました。どの音もほんとうにクリアできれいに生き生き聴こえて、「えっ、この小ささで、あれー!すごーい!」っていう感じで(笑)。
音色もとても心地よい感じで聴こえますね。特に感じたのが、ピアノや弦楽器、ギターやマリンバなど、それぞれの楽器の発音と余韻がよく聴こえるという点です。打楽器は自分の音等も聴いてみましたが、ドラム缶のような作った音の中高音はとてもきれいでした。さすがにバスドラムのようなとても低く厚い音は弱くなってしまいますが、ただ電気的に打ち込まれたような低音は結構いけるんですよね。だから一般のCDに含まれているような低音では、「低音が足らない」という感じはあまり無いですね。この部屋にぴったりのスタイリッシュな点もとても気に入っています。
今後の活動への想い、、、
これからも続けてソロ活動をがんばっていきます。勿論音の空間創りもまだまだ興味がありますが、今は、「自分の身体を使って音を生み出す」という事にも大変興味があり、その為の身体創りや精神的にコントロールできるよう、集中しています。そしたらもっと威力のある音を出せ、もっと新しく、もっと自由に、オリジナルな世界がつくれるかもしれません。 今は特にヨガや武道、能等にも興味があります。特にヨガは身体の中から変えてくれ、人間として基本的なこと「立ち方」や「呼吸」なども改善されます。いい音を出すこと、いいものを創造してゆくのに大切なことは、「無駄な力を抜く事だなあ」と強く感じている今日この頃です。
主な作品
「To the Earth (CD)」
alacarte Cie. SO1118
送料込み 3,000円(日本国内のみ)
tel:+81 3 3565 7533 fax:03-3952-5764
上記以外はcdbaby.com より購入可、CDロゴクリック
ソロ・アルバム:クセナキス/ルボン、杉山/リガロ、ドナトーニ/オマール、 シュワントナー/ヴェロシティーズ、ジェフスキ/トウー・ジ・アース
東京オペラシティ コンサートホール開館10周年記念 CD
「武満徹の宇宙 Cosmos of Toru Takemitsu」
指揮:若杉 弘/高関健、ピアノ:高橋悠治、パーカッション:加藤訓子、オーボエ:古部賢一、トロンボーン:クリスチャン・リンドバーグ、東京フィルハーモニー交響楽団
武満徹:カシオペア、アステリズム、ジェモー
収録:2006年5月28日
東京オペラシティ コンサートホール(ライブ録音)
定価:1,050円(税込) 品番:TOCCF-10
企画制作・発売:財団法人東京オペラシティ文化財団
販売:タワーレコード株式会社