ジム・アンダーソンへの私的考察 その1
小原由夫のサイト・アンド・サウンド(Ver.2:第33回)

あくまで個人的な趣味嗜好だが、イーストコースト・ジャズよりも、ウェストコースト・ジャズの方が私は相対的に好きだ。「ブルーノート・レコード」に代表されるように、イーストコースト・ジャズの音は、ソロ楽器を張り出すくらいに目立たせたような、いわゆるデフォルメした音の傾向が強い。対するウェストコースト・ジャズは、演奏現場の空気感(プレゼンス感)というか、ミュージシャン間の距離感を大事にした録音、すなわちステレオイメージを尊重した作品が多いように思う。オーディオ的な再生上のおもしろさは、ウェストコースト・ジャズが遥かに勝ると思うし、ECLIPSE Home Audio Systemsのコンセプトにも合致すると思う。そのECLIPSE Home Audio Systemsのエンドーサーに最近加わったのが、録音エンジニア、ジム・アンダーソンである。

彼の名前を初めて聴いたのは、「三研マイクロフォン」の技術者からだと記憶している。今はもうない「アルファ・レコード」からリリースされたピアニスト/サイラス・チェスナットのアルバム「酒とバラの日々」だ。ニューヨーク録音(すなわちイーストコースト)だが、私にはまるでロイ・デュナンが録音を担当したアルバムのように聴こえた。ロイ・デュナンとは、ウェストコースト・ジャズの名門「コンテンポラリー・レコード」のハウスエンジニアで、いわばウェストコースト・ジャズのサウンドの礎を形成した重要人物。デュナンの録音は、まるで演奏現場を目の当たりにしているかのような生々しい臨場感と音場の見通しのよさに特徴がある。サイラス・チェスナットのアルバムは、その音によく似ていたのだ。

私はこの時、ジム・アンダーソンは、現場のエアー(空気)をいかにパッケージングするかを注意深く探求するレコーディンク・エンジニアなのだろうと認識した。だからこそナチュラルな音場感を尊重しているデンソーテン/ECLIPSE Home Audio Systemsの方針に賛同し、エンドースメントを承諾したのだと思う。

ある時、いい音だなぁと以前から思っていたレコードに、ジム・アンダーソンの名前を見付けた。それもバリバリのイーストコースト・ジャズレーベル「ブルーノート」の、ジョー・ヘンダーソン(01年6月30日逝去、64歳)のライヴ盤「ヴィレッジ・ヴァンガードのジョー・ヘンダーソン」だったから意外だった。もっともそれは、80年代以降の新生ブルーノートの作品(1985年録音)で、アシスタントエンジニアとしてクレジットされたものだった(メインの録音エンジニアは、今は亡き名手デヴィッド・ベイカー。実はこのアルバム、強度の風邪を引いた人が客席に一人いて、1曲目「ベアトリス」の演奏中、ずっとゲホゲホと咳き込んでいるのだが、その音まで生々しく記録されている)。

後に、ヴァーブレコードに移籍することとなったジョー・ヘンダーソンは、レーベル移籍2作目で再びジム・アンダーソンと組むことになる(移籍第1作は、ルディ・ヴァン・ゲルダーが録音を担当)。それが「ミュージング・フォー・マイルス(原題/ソー・ニア、ソー・ファー)」だ。

同アルバムは、マイルス・デイヴィスゆかりの楽曲ばかりを集めたもので、リズムセクションをその門下生で揃えたアルバムだ。センター音像にジョー・ヘンダーソンのテナー・サックスを克明に捉え、ふくよかなベースの響き、ざっくりとしたエレキギター、センシティブなドラムスというバランスで、全体には整った音場感が味わえる。

希代のテナー・サックス奏者のこの1992年作にこそ、ジム・アンダーソンの録音手法の真骨頂が凝縮されている。すなわち、楽器の質感をナチュラルに浮かび上がらせながら、4人の奏者の距離感を的確に捉えているのだ。テナー・サックスとギターをフロントに鎮座させ、そのやや後ろにベース、またその後ろにドラムスという配列なのだが、例えば4曲目「フラメンコ・スケッチ」のシンバルのこまやかな質感にはシビれる。シンバルがこんなに多彩な音を出せるのかと、アル・フォスター(ドラムス)の技量の高さもさることながら、微細な響きや音色の違い、ピッチの違いを精密に捉えたジム・アンダーソンの姿勢に感服した。その鮮明な音のテクスチャーには、NYのパワーステーション・スタジオ(現在のアヴァタースタジオ)のエアー感が見事に現われているのである。

ちなみに同アルバムは、93年のグラミー賞のベストジャズアルバム賞を受賞している。